伊勢神宮に初めて行って来ました 外宮編
4日間の休みが取れましたので、伊勢神宮と伊勢志摩の一宮巡りをしました。
今回の旅で訪れた神社を紹介させていただきますので、宜しくお願いします。
さて、初日は伊勢神宮を訪れました。
参拝者が少ない早朝の時間に行きたかったので、西武観光バスの「鳥羽線」を利用。
新宿から伊勢市までの料金は7,200円ですが、超割1ヶ月という早期購入割引ですと6,200円で行けます。1,000円お得ですよ。
外宮近くの伊勢市に到着したのは7時40分頃。新宿バスタを21時50分に出発したので約10時間程かかりました。
降りた乗客は、わたくしを含めて3人でした。
昨夜から降っていた雨はすでに止んでおり、天気は回復しています。
清々しい朝でした。ひんやりとした空気が心地よい。
歩くこと5分。外宮の玄関口、表参道火除橋に到着しました!
感動!
バスでまったく寝れなかったため疲れていましたが、橋の前に立つと疲れなんて吹き飛んでしまいました。
手水舎で口と手を清め、まずは正宮(しょうぐう)を目指します。
第一鳥居をくぐります。
第二鳥居へ続く参道。
道に敷かれた玉砂利の音って、何か心が落ち着きますよね。
第二鳥居です。
鳥居をくぐり、神楽殿を過ぎると正宮があります。
正宮が見えてきました。
内側での写真撮影は禁止ですので、参拝後、ここから撮影しました。
「唯一神明造」。本当に装飾が無い、直線的な素木造りです。
続いて、外宮の祭神豊受大御神の荒御魂を祀る別宮・多賀宮(たかのみや)へ。
池の小川を渡ると、石段がありますので、ここを上ります。
石段は98段あるそうです。
多賀宮の社殿。
山の頂きにあるため古くから高宮(たかのみや)と呼ばれていたそうです。
同じ領域内には、土宮(つちのみや)と風宮(かぜのみや)と呼ばれている別宮があります。
こちらが、土宮。
大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)をお祀りしています。
古くから山田原の鎮守の神として祀られていたのですが、外宮が山田原に創建された後、外宮宮域の地主神としてお祀りされたそうです。
そして、風宮。
鎌倉時代、蒙古軍が日本に襲来した元寇の時に、神風を吹かせたとされる神をお祀りしております。
外宮の御朱印は、第二鳥居近くの神楽殿でいただけます。
御朱印代は300円です。
宮域内を散策し終え、休憩所でちょっとひと休み。
休憩所から望む勾玉池。
すばらしい景観ですよ。
さて、次は内宮へ向かいます。
ありがとうございました。
大宮氷川神社 大湯祭前斎
12月9日、大宮氷川神社で行なわれた大湯祭の前斎に行ってきました。
大湯祭の本祭は12月10日。
十日市(とうかまち)といわれるこの日には、境内や参道に熊手や神棚など、いろいろな露店が並びます。露店の数は、何と約2000軒もあるそうです。
訪れたのは、午後7時30分頃。
二の鳥居付近。屋台の明かりが見えてきました。
思ったより人は少なく、スムーズに通れました。
閉まっている露店もちらほら。
本番は明日ですもんね。
境内には、たくさんの熊手を売っている露店が並んでいました。
参道に比べ、こちらは多少賑わっていました。
沢山飾られた熊手、壮観です。
熊手を購入した方への威勢の良い手締めと拍手が響いていました。
午後7時30分から焚かれるかがり火。
この火に当たると無病息災、火防の御神徳にあずかるそうです。
楼門前に来ました。
手水舎で手と口を清め、楼門をくぐります。
午後8時。祓殿から太鼓の音が鳴り響きました。
白装束に身を包んだ神主さん達が提灯をもって整列しています。
これから拝殿へと向かいます。
本殿の扉が開き、お供え物が次々と運ばれていきます。
儀式は約1時間近く続きましたが、寒さを忘れるほど目の前で行なわれている厳粛な儀式に魅入ってしまいました。
この日は、けっこう冷え込みました。
見物している人からは、あのスーツの人たちは寒くて大変だなという声が…同感。
儀式が終わると一部の照明を除いて明かりが消され、見物人も解散しました。
静寂となった境内をしばらく散策。
こちらは舞殿。
楼門。
幻想的な風景。
帰り道。神池に掛かる橋から。
露店はまだまだ営業しています。
身体が冷えてしまったので、三の鳥居近くの露店で甘酒をいただきました。
お婆ちゃん、御馳走さまでした。
美味しかったです。身体も温まりました。
他にも大判焼きや焼きそば、焼き鳥などいろいろな屋台がありました。
昼間ならば食べていたのですが、遅い時間の食事は控えているので誘惑に我慢しつつ、無事帰宅しました。
大宮氷川神社・大湯祭。今回は前斎でしたが、本殿で行なわれる儀式は一度観た方が良いですよ。
次回は、本祭と後斎に行ってみたいな。
それでは、また。
出雲伊波比神社 埼玉県毛呂山町
埼玉県毛呂山町の出雲伊波比(いずもいない)神社。
リオ五輪競泳400m個人メドレー銅メダリストの瀬戸大也選手が、イベントで流鏑馬を披露した映像をニュースで見たことがあると思います。
流鏑馬は950年以上も前から受け継がれている伝統行事で、毎年11月3日、15歳前後の少年騎士による流鏑馬が朝と夕方に行われるそうです。
その神社が、ネットで「猫神社」と言われているようですが、本当なのかどうか確かめに行って来ました。
アクセスは、JR八高線毛呂駅から徒歩5分。東武生越線東毛呂駅から徒歩約10分。
わたくしは、東毛呂駅からのルートで神社に行きました。
駅の改札口はひとつしかありません。改札口を出て真っ直ぐ進みます。
駅前にはスーパー「いなげや」がありました。
いなげやを過ぎると県道30号線に出ました。信号機を左に進みます。
県道30号線。
県道を進んでいくと、ひとつめの信号機がありますので、横断歩道を右へ渡ります。
横断歩道の先に「ブックランド・エル」という書店があります。
横断歩道を渡り、道なりに進んでいくと、鳥居が見えました。
出雲伊波比神社の鳥居です。
こちらは北参道なのですね。
とりあえず、北参道から境内に向かいました。
境内の参道に着くと、参道の真ん中に早速「ネコ」がいました!
社務所には、こんな表示板が。
おお~!猫神社だ!!
興奮を抑えて、手水舎で口と手を清めて社殿に参拝しました。
社殿と本殿。
醍醐天皇が編纂した延喜式神明帳で武蔵国入間郡五座の筆頭にあげられた格式高い神社。
1527年焼失後、翌1528年毛呂顕繁が再建。
本殿は一間社流造、埼玉県内最古の神社建築で国の重要指定文化財に指定されているそうです。
その社殿に猫が…。
ま、まさか!?
ああ~、爪とぎし始めたーー!
ちょっとー!重要文化財なんですけどー!!!
瀬戸大也選手も泣いてますよ!
爪とぎを終えると、この猫は社殿内で睡眠に入りました。
陽が当たるこの場所がお気に入りのようですね。
参拝後は境内を散策。
訪れた日は、風が冷たかったので陽の当たる場所に猫がいました。
社務所の一角。親子でしょうか。
社務所隣のトイレにもいました。
特に境内参道は一番陽が当たるので、各々がお気に入りのスポットで日向ぼっこをしていました。
皆さん、適度に距離を保っています。
人馴れしていない猫もいて近付くと逃げる猫もいましたが、本当に猫神社でした。
来てよかった。
11月3日に行われる、秋の流鏑馬も見てみたい。
さて、帰りは、書店「ブックランド・エル」隣の食堂「まるや」にて昼食。
毛呂山町のご当地グルメ、豚玉毛丼(ぶったまげどん)をいただきました。
値段は650円(税込)。
ご馳走様でした。
美味しかったです。
神社へのアクセスはこちら。
それでは、また。
亀戸天神社 東京都江東区
今日は、江戸東京博物館で開催されている戦国時代展の後、亀戸天神社に初めて行って来ました。
最寄駅はJR総武線「亀戸」駅または「錦糸町」駅。地下鉄半蔵門線「錦糸町」駅または「押上」駅とアクセスに大変便利です。
この日、わたくしは「両国」駅から歩いて亀戸天神社に向かいました。
約40分くらいですかね。
亀戸天神社に到着しました。
御祭神は、天満大神(菅原道真公)と天菩日命(管家の祖神)。
九州太宰府天満宮に対して、東宰府天満宮・本所天満宮・または亀戸天満宮と称されていましたが、明治6年に東京府社になってから亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と称するようになりました。
それでは、境内に入ってみましょう。
大鳥居をくぐり、男橋を渡ります。
この橋は、生きてきた過去を表すそうです。
わたくしの生きてきた過去…。
一概には言い表せない色々な過去がありますよ。
男橋からの境内の眺め。
次回は藤の花が咲く季節に訪れてみたいですね。
男橋をまっすぐ進み、女橋へ。
女橋は希望の未来を表すそうです。
こんなおっさんにも希望の明るい未来がありますように。
女橋からの拝殿の眺め。
女橋を渡ると、右手に手水舎があります。
亀戸天神社らしい手水舎です。
手と口を清め、拝殿へ。
どうしてもスカイツリーと一緒に収まるショットを撮ってしまいますね。
参拝後は境内を散策しました。
拝殿付近に設置されている神牛。
天満宮といえば牛ですね。
同じく境内にある5歳の菅公の像と幸運を招くとされる鷽。
帰り際、女橋のかかる池に一羽の水鳥がいました。
珍しかったので撮影しました。
けっこう素晴らしい藤棚がありましたので、次回は藤の花が咲く頃に訪れてみたいと思います。
それでは、また。
榛名神社 埼玉県富士見市
御祭神は、埴山姫命(ハニヤマヒメノミコト)と豊受姫命(トヨウケヒメノミコト)の女神です。
神社がいつ創建されたかは不明。室町時代中期(1477年)4月10日に再建されたそうです。そして、明治5年村社に指定されました。
年中行事の中で、毎年4月10日に行われる例大祭が最大のお祭りのようです。
はんなさまの祭りと呼ばれ、植木市や多くの屋台が並び、里神楽やお囃子が演じられます。
それでは、境内に入ってみましょう。
鳥居の額面が消えてしまっています。
手水舎。
神楽殿。
拝殿。
本殿。
境内には、稲荷神社・厳島神社・富士神社・藤塚神社・大六天神社・疱瘡神社などの摂社や末社がありましたが、神社名が記載されていないのでどれがどのような神社か分かりませんでした。
高さ20メートルにも及ぶ市内最大級のものだそうです。
他には、昔の人たちが力自慢を競ったものと思われる「力石」がありました。
普段何気なく通り過ぎている付近の神社をじっくり散策してみるのも良いですね。
神社めぐりは楽しい。
さて、次回はどこの神社に行ってみようか…。
明治神宮 東京都渋谷区
お正月になると初詣で多くの参拝者が集まる明治神宮。
初詣の参拝者数は日本一だそうです。
そんな有名な神社ですが、わたくし一度も行ったことがありませんでしたが、11月22日に、初めて明治神宮に行ってきました。
明治神宮は、JR山手線「原宿」・「代々木」駅、東京メトロ千代田線・同副都心線「明治神宮前」駅・「北参道」駅、都営地下鉄大江戸線「代々木」駅、小田急線「参宮」駅とアクセスに大変便利です。
埼玉県在住のわたくしは、東京メトロ副都心線「明治神宮前」駅から向かいました。
明治神宮は大正9年(1920年)11月1日に創建されました。
それでは、明治神宮に行ってみましょう。
この日は、南参道から参詣しました。
都会の真ん中とは思えない鬱蒼とした森が広がっています。
これが人工の森とはまったく思えません。
造営にあたり、日本国内だけでなく樺太や満州、台湾からも植樹する木が奉納され、約10万本の木が11万人の青年団の勤労奉仕によって植林されたそうです。
創建当初、当時の学者たちは、どのような樹木を植えたら立派に育つのか、100年後自然の状態になっていくのかを考えた結果、椎・樫などの照葉樹を植えることにしたそうです。
ところが、当時の内閣総理大臣・大隈重信は、伊勢神宮や日光東照宮のような杉並木を望んでいたため、学者たちの意見に反対しました。
しかし、造営に携わった関係者たちは大隈重信首相の意見に反論。代々木の地層が関東ローム層であることや、都会では杉の木が環境に適さないことを説明し、納得させたそうです。
こうした関係者の努力があって、鬱蒼と茂った緑したたる常盤の森が現在に至っているのですね。
参道の途中には、奉納されたワインと酒樽が並べられていました。
壮観です。
こちらはワイン樽。
明治天皇はワインが好きだったようですね。
そして、反対側には酒樽。
参道を進んでいくと、大鳥居が見えてきました。
国内最大の「明神鳥居」です。高さは12メートルあります。
現在の鳥居は2代目で、台湾丹大山の樹齢1500年の檜が使用されているそうです。
形式や寸法は、大正9年創建のものと同じ。
本当に大きいですね。
さて、この日は新嘗祭の前日であり、菊花展の最中でした。
本殿前の鳥居。
手水舎。
外国人観光客が多かったです。
楼門。
野菜で造られた宝船が飾られていました。
明治神宮本殿。
境内にある夫婦楠。
家内安全、夫婦円満の御利益があるそうです。
新嘗祭前日の境内は、各都道府県からの農産物が奉納されていました。
境内を散策した後は、明治神宮御苑へ行きました。
入園料は500円です。
広さは約83,000㎡。
江戸時代初期は熊本藩主加藤家下屋敷の庭園でしたが、その後、彦根藩主井伊家に移り、明治維新後は皇室の御料地となりました。
苑内にある隔雲亭。
昭憲皇太后の休息所であったそうです。
建物は太平洋戦争で焼失してしまいましたが、篤志家により昭和33年に建て替えられました。
隔雲亭から見下ろした場所にある南池。
加藤清正が掘ったと言い伝えられる清正井(きよまさのいど)を水源とし、夏は睡蓮の花が咲く眺めが美しく、冬は水鳥の楽園となっているそうです。
鯉たちが近づいてきました。
南池を西北に進むと花菖蒲田があります。
見事な紅葉が広がっていました。
南池の水源、清正井。
湧き出る清水は、年間を通して15度前後を保っているそうです。
澄んだ綺麗な水ですね。
本当に都会とは思えない自然豊かな神社でした。
この日は外国人観光客が多っかたです。
自撮棒で撮影禁止である本殿をバンバン撮影している外国人にマナーを守ってほしいなと思いましたが、その一方で、きちんと一礼して鳥居を後にする外国人の方を見ることができて感動もしました。
このブログで神社の魅力を少しでも伝えられたらいいなと思っております。
それでは、また。
八幡神社 埼玉県ふじみ野市
今日は自分の住んでいる地域近辺の神社に自転車で行ってきました。
伝承によると、鷺森(さぎもり)という地にあった鷺宮神社が当初の駒林村の鎮守であったそうです。
しかし、江戸時代前期に、駒林村の地頭を務めた江戸幕府の旗本・小栗平吉が、信仰している八幡大菩薩(別名:誉田別命)を祀るため八幡神社を創建したところ、村民の信仰も集めるようになり、やがて村の鎮守になったそうです。
以後も、地頭である小栗氏や川越藩などの領主から手厚い保護を受けました。
1872年(明治5年)、栗林村の村社に指定され、明治40年代に、鷺宮神社・浅間神社・山神社・稲荷神社などが境内に合祀されました。(ふじみ野市教育委員会より参考)
それでは、神社に入ってみましょう。
明神系の鳥居である八幡鳥居です。
村社としては長い参道です。
灯篭と狛犬。
拝殿。
本殿。
当初の鎮守であった鷺宮神社。
拝殿から境内を撮ってみました。
神社に興味が無かった頃は素通りしていましたが、じっくり見てみるとその地域の歴史や、昔の人々の信仰をうかがうことができました。
有名な神社も良いですけど、身近にある村社をめぐるのも良いですね。
次はどこの村社に行ってみようか…。