薩摩国一の宮 新田神社
全国一の宮めぐり 鹿児島編
3月5日から8日、3泊4日の日程で鹿児島へ行ってきました。
初めての鹿児島。初日に訪れたのは新田神社です。
川内駅で肥薩線おれんじ鉄道に乗り換え、最寄の上川内駅を目指しました。
葦北鉄砲隊のラッピング列車に乗ることができましたよ。
駅から歩くこと約10分。新田神社に着きました。
あいにくの雨でしたが、雨もまた神社には良い雰囲気を醸し出してくれますよね。
二の鳥居です。
二の鳥居をくぐって橋を渡ると石段の参道があります。
両脇には末社の西門守神社と東門守神社があります。
112段ある石段を登ると中腹に出ます。
中腹には旧社殿の礎石が残されています。
承安三年(西暦1173年)に社殿が炎上したため現在の神亀山山頂に遷座しました。
その礎石の脇には、末社の早風神社・中央神社・高良神社の三社が祀られています。
反対側には、がらっぱ大明神の像がありました。
中腹から社殿がある山頂に向かいます。この206段ある石段を登りますよ。
石段を登ると正面に社殿があります。
この社殿は、本殿・弊殿・拝殿・舞殿・勅使殿が一直線に並んでいます。
本殿の両脇には摂社が配置されており、互いに回廊でつながっているそうです。
この配置は県内で唯一とのこと。
残念ながら、中を窺うことはできませんでした。
御朱印は、社殿右端にある授与所でいただくことができます。
御朱印をいただいた後は、境内を散策しました。
社殿に登る途中にある樹齢二千年と伝えられている御神木の大楠。
この狛犬は、安産に霊験があるそうです。
境内の社務所からは、天孫・瓊瓊杵尊の埋葬地である可愛山稜に行くことができます。
ちょうど雨が止みました。
おっと、ネコさん発見!雨宿りしていたのかな。
さて、可愛山稜に行きましょうか。
可愛山稜。神々しい雰囲気を感じます。
天孫の墳墓だけあって、宮内庁直轄で管理されているようです。
周辺の樹木も巨大なものがあり、歴史を感じさせています。
これなんか何かの生物に見えます。
天孫をお祀りする神社だけあって、とても雰囲気の良い神社でした。
駅からも近いのでぜひ訪れてみてください。
次回は枚聞神社を紹介します。それでは、また。
新田神社
御祭神
天津日高彦火瓊瓊杵尊(あまつひだかひこほのににぎのみこと)
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
由緒
創建は神亀二年(西暦725年)など諸説あるが詳細は不明。
薩摩国国府が置かれたことから、古来より国家鎮護を祈念し、国司や武家の尊崇篤く一時八幡新田宮とも称した。
社殿は中腹にあったが、承安三年に焼失。安元二年(西暦1176年)に現在の神亀山山頂に遷座された。
慶長六年(西暦1601年)、島津義久・義弘が社殿の全てを改築。嘉永三年(西暦1850年)には島津斉興が拝殿・勅使殿以外の建物を改築。
アクセス
敷島神社と田子山富士 埼玉県志木市
埼玉県志木市本町に鎮座する敷島神社(しきしまじんじゃ)。
創建は明治41年。元々この地にあった浅間社に、村山稲荷と星野稲荷、水神社を合祀し、新しい鎮守としたそうです。
御祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、罔象女命(みずはのめのみこと)です。
境内には「田子山富士」なる富士塚があり、「たごやまのおふじさん」と呼ばれ親しまれています。
初めて訪れましたが、
この富士塚、意外と立派でしたよ。
今回は、敷島神社と境内にある田子山富士を紹介します。
訪れた日は2月7日。とても風の強い日でした。
神社正面の鳥居。
奥に見えるのが田子山富士です。
まずは拝殿で参拝します。
撮影途中、強風で砂埃が舞う。
おまけにiPadminiが風であおられ、写真を撮るのもひと苦労でした。
鈴緒も左右に大きく揺れています。
拝殿の右脇に祀られているのは稲荷神社。
稲荷神社の隣りには護国神社がありました。
大東亜戦争で亡くなった人々の英霊を祀っています。
拝殿の左脇には鷲宮神社があります。
そして、この神社のシンボルとも言うべき「田子山富士」。
高さは約9mあります。
幕末、引又宿(現志木市本町)で代々醤油醸造業を営んでいた高須庄吉と言う人物が、夢に現れた高僧に田子山塚に登るよう告げられました。
夢に従って田子山塚に登ったところ、「逆修(ぎゃくしゅ)」の板碑を発見。
この板碑は、室町時代初期の大和笠置の僧・十瀧房承海が富士山入定に先立って建立したそうです。
逆修とは、生前に自分の法事を修め、冥福を祈ること。
信仰篤い庄吉は感激し、田子山塚の上に富士塚を築こうと同士を募り、1872年(明治5年)6月に完成しました。
この富士塚は、平成18年3月に埼玉県の有形民俗文化財に指定され、現在「田子山富士保存会」の皆様によって管理されています。
なお、田子山富士に登れるのは、「大安」と「友引」の日、「特別入山日」となっておりますので注意してください。
※「特別入山日」1月1・2・3日、7月第1土・日曜日、8月21日。
入山時間は10時~15時です。
ラッキーなことに、この日2月7日は大安でした。
通りで境内に受付テーブルがあり、神社関係者らしき人たちがいるなと思いました。
階段を上り、まずは金毘羅神社と浅間神社に参拝し、登山の無事を祈ります。
風が強いので怪我をしませんように(願い)。
入山の心得。この七箇条を守って登りましょう。
それでは、頂上を目指して出発します。
一合目。
一合目から頂上を見上げた景色。
道幅は狭くて急坂です。人がひとり通れるくらいの幅しかありません。
雨天や強風の日は注意しないと転落しそうです。マジで…。
強風に注意しながら八合目に到達しました。
そして、ついに…頂上に到着しましたよ!
今日は空が霞んでいますが、空気が澄んだ晴れた日は富士山が見えるそうです。
頂上にある祠と陰陽石。
下山後、富士塚周辺を散策しました。
きちんと手入れされていて大変きれいですね。
多数ある石造物には寄進者の名前が刻まれていました。
敷島神社の最寄駅は、東武東上線「志木駅」。東口から徒歩約25分。
細田学園の隣りにあります。
興味のある方は訪れてみてください。
それでは、また。
菅谷神社 埼玉県比企郡嵐山町
埼玉県比企郡嵐山町菅谷に鎮座する菅谷神社(すがやじんじゃ)。
鎌倉時代初期にこの地を治めていた畠山重忠公が祀られています。
畠山重忠といえば、一ノ谷合戦の「ひよどり越え」で愛馬三日月を背負って崖を降りたという勇猛な武将。
平氏や木曽義仲、奥州藤原氏との戦いで数々の戦功を挙げ、将軍源頼朝の信任も篤く、有力御家人として鎌倉幕府を支えました。
頼朝の死後、幕府の実権を独占しようとする北条氏が他の有力御家人を次々と謀殺していきます。それは、畠山重忠にも襲い掛かってきました。
1205年6月22日、鎌倉に変ありとの知らせを受け、急ぎ手勢130余騎を引き連れて鎌倉に向かいましたが、二俣川で待ち伏せていた北条勢数万と遭遇。
この時、すべて謀略であることを重忠は知りますが、臆することなく敵に臨みました。
享年42歳。後世、鎌倉武士の鑑と称えられた武将の悲劇的な最期でした。
神社の由緒書き。
鳥居をくぐり参道へ。
長い参道。途中にはブランコなどの遊具がありました。
拝殿。
この佇まい好きです。
参拝後は境内を散策。
こちらは本殿。拝殿の裏に回ると見ることができます。
稲荷神社。
稲荷神社の隣りには津島神社があります。
社務所脇の神楽殿。
敷地にはベンチが並んでいます。祭りでは何かステージがあるのでしょうか。
天手長男神社。
天神神社。
倉庫には神輿が2基納められています。
鳥居を出て道を挟んだ公園には厳島神社がありました。
閉鎖されていて中には入れませんでした。
西口から徒歩10分程です。
ここから国道254号線へ行くと畠山重忠ゆかりの菅谷館跡と埼玉県立嵐山史跡の博物館がありますので、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
けっこう楽しめますよ。
菅谷神社のアクセスはこちらです。
鬼鎮神社 埼玉県比企郡嵐山町
2月3日、埼玉県比企郡嵐山町の鬼鎮神社(きぢんじんじゃ)に行って来ました。
鬼鎮神社は、「鬼」を神様としてお祀りしている珍しい神社。
日本全国でも青森県弘前市、大分県大分市、福岡県添田町の「鬼神社」と鬼鎮神社の4社しかありません。
創建は1182年(寿永元年)。鎌倉幕府初期の有力御家人畠山重忠の居館である菅谷館の鬼門除けとして建立したと伝えられています。
鬼が神様なので節分祭の豆まきの掛け声は「福は内、鬼は外」ではありません。「福は内、鬼は内、悪魔は外」なんです。
東口を出て徒歩で向かいました。
この日は快晴でしたが、気温が低く風が強い日でした。
節分祭は午後3時からですが、混雑する前に神社を撮影したかったので午前11時に訪れました。
駅から徒歩12分程で到着。
神社の脇の道路には屋台が出ていました。
まずは鳥居をくぐって参拝。
どうです?この拝殿。
赤鬼と青鬼が描かれた額。そして屋根瓦には鬼の面の瓦が。凝ってますね~。
鬼と言ったら、当然あれですよね。
金棒!
賽銭箱の隣りにもありました!
武運長久の御利益があるそうで、願いが叶うと金棒を奉納する伝統があるとのこと。
他にも受験合格の御利益があり、合格祈願の絵馬が飾られていました。
社務所で御朱印をいただこうとしましたが、御朱印はやっていないそうです。
残念…。
参拝後は、神楽殿横で川島婦人会の方が作った甘酒をいただきました。
値段は100円。
ご馳走様でした。冷えた体が温まりました。
拝殿の隣りでは豆まきの舞台を設営中。
風が強いので紅白幕を張るのに苦労しています。
節分祭まで時間があるので畠山重忠ゆかりの菅谷神社と菅谷館跡、埼玉県立嵐山史跡の博物館を訪ねました。
博物館は、2月19日まで「戦国を生き抜いた武将たち」という特別展が展示されています。歴史に興味のある方は立ち寄ってみて下さい。
節分祭30分前。人が徐々に集まってきました。
午後3時、神楽殿の裏の方から雅楽の笛の音が聞こえてきました。
横笛を吹いた2名の奏者を先頭に、赤鬼と青鬼が参道を通って登場しました。
プロレスラーの入場シーンを連想しました。
拝殿に入ると、まずは拝殿内のお祓いをします。
そして、豆まきが始まりました。
「福は内、鬼は内、悪魔は外!」の掛け声。
豆の他にみかんやお菓子などがまかれました。
神楽殿からも豆がまかれます。
10分程で豆まきは終了。
楽しい時間はあっという間に終わってしまいました。
拝殿横の社務所では、豆まきを終えた鬼さんが記念撮影に応じていました。
100個限定の福豆セット(700円)をゲット。
規模は小さいながらも、とっても良かったです。
ほとんど近所の人たちで、小学生からお年寄りまで楽しんでいました。
こういう地域のお祭り、大切に残したいですよね。
駅からも歩いて行ける距離なので、一度ご覧になって下さい。
毎年2月3日、午後3時に行われます。
鬼鎮護神社のアクセスはこちらです。
それでは、また。
南宮山(伊賀小富士)山頂の浅間社を参拝
敢國神社を参拝した後は、南宮山の山頂に鎮座する末社・浅間社を目指しました。
南宮山の標高は350m。富士山と同じ円錐形をしていることから「伊賀小富士」と呼ばれており、山頂には敢國神社の末社・浅間社が奉祀されています。
御祭神は、木華咲耶比咩命(このはなさくやひめのみこと)です。
登山口は、敢國神社表参道の鳥居を出て左へ行ったところにあります。
しばらく歩くと、「NHK伊賀TV中継所登山口」と書かれた標識がありますので、ここから入山します。
山道は、けっこう落ち葉が堆積していました。ところどころ、泥濘があります。
これから電車と新幹線に乗るので転びたくはありません。慎重に歩を進めます。
朽ちた杉の幹から生えた巨大な野生キノコ。
ゆるい坂道が続きます。
山の中腹辺りでしょうか。傾斜がきつくなってきました。
しかも倒木が多くて進路がわかりにくい。
さらに傾斜がきつくなってきました。
落ち葉が多くて滑りやすい。
浅間社と矢印が書かれた標識を発見。
きつい坂道はなくなりました。
木の枝に付けられたリボンの道標に従って進みます。
もう20分以上歩きっぱなし。
山頂はまだか!?
松の木に縛り付けられた折れた標識がありました。
山頂はもうすぐなのか!?
走りました。
2分後、鳥居が見えた!
ようやく浅間社に着きました!
約30分かかりました。
浅間社の祠。
浅間社に隣接する敷地にはTV中継所の電波塔があります。
電波塔の横からの眺望。けっこう良い眺めでしたよ。
下山する前に、津駅構内のパン屋で買ったクリームパンを食べながら、しばし風景を堪能しました。
無事に下山し、佐那具駅に到着。
南宮山の往復時間は約60分でした。
旅行のときは運動不足になるので、いい運動になりました。
傾斜がきつい坂道は、下りるときは注意して下さい。
登るとき以上に落ち葉で滑りやすくなっています。
4日間の伊勢志摩の旅、終了しました。
機会があれば、また訪れてみたい。
次はどこの神社に行ってみようか。
それでは、また。
伊賀国一の宮 敢國神社
2016年12月。伊勢志摩の旅4日目の最終日は、伊賀市にある敢國神社(あえくにじんじゃ)を訪れました。
3日間お世話になった津駅前のホテルをチェックアウトし、津駅を出発。亀山駅でJR関西本線に乗り換え、敢國神社の最寄駅である佐那具駅を目指しました。
津駅から約1時間30分程で佐那具駅に到着。
電車は比較的混んでいましたが、ここで降りたのはわたくし一人だけでした。
佐那具駅舎。
駅前の道路を左に進みます。
柘植川に掛かる橋を渡ります。
橋を渡ってしばらく歩くと大和街道に出ます。三重銀行が目印ですよ。
大和街道に出たら右へ進みます。
街道はこんな感じ。
街道を進んで行くと山出銀店の看板がありますので、ここを左へ行きます。
道路沿いに西方寺というお寺があります。
西方寺を過ぎると国道25号に出ます。
交差点を渡り、そのまま真っ直ぐ進みます。井関農機の看板が目印です。
西濃運輸を過ぎます。まだまだ歩きますよ。
10分程歩くと左右に分かれる道がありますので、右に進みます。
道なりに進んで行くと千歳交差点があります。
交差点に出ると、敢國神社の案内看板がありました。
交差点を渡って道なりに進んで行き、名阪国道の高架下を抜けます。
道路沿いには敢國神社と書かれた赤い幟が、一定の間隔で立てられていました。
幟が道案内となっていますので、とても助かりますね。
さぁ、敢国神社はもうすぐです。
高架下を抜けると、道沿いに立っている神社の幟の色も赤から5色のカラフルなものに変わっていました。
あれ!?こちらは裏参道でした。
向かいは駐車場となっています。
表参道は、裏参道を過ぎて少し進んだところにありました。
敢國神社の大鳥居。
手水舎。鳥居をくぐってすぐ右手にあります。
境内正面の石段を登り、まずは拝殿へ向かいました。
第八代孝元天皇の嫡男の御子で、第十代崇神天皇の御代に四道将軍のひとりとして北陸地方の平定を任され、平定後伊賀の地に永住しました。
拝殿の敷地のスペースが狭いため建物全体を撮ることはできませんでした。
社務所で御朱印をいただいた後は境内を散策。
境内にある桃太郎岩。安産と子授けの守護の霊岩だそうです。
550年前に、前方にそびえる南宮山上に鎮座する浅間社から遷したと伝えられています。
子授け神。
縁結びの神として信仰厚い、むすび社。
鳥居をくぐって石段を登って行きます。
神明社。
大石社。
こちらは、市杵島姫神社。
姫神らしく朱塗りの鳥居と社が見事に映えます。
伊賀が生誕の地である松尾芭蕉の句碑がありました。
「手鼻かむ音さえ梅の匂ひかな」1688年、芭蕉45歳の作だそうです。
この後、帰りの時間までまだ余裕があったので南宮山頂にある末社浅間社を目指しました。
こちらは次回で報告します。
それでは、また。
九鬼嘉隆ゆかりの鳥羽城跡と賀多神社 三重県鳥羽市
2016年12月、伊勢志摩の旅3日目。
安楽島の伊射波神社と満留山神社を訪れた後は、バスで鳥羽駅に戻りました。
時刻は11時30分。
鳥羽駅でランチをとることに。
そういえば、朝はコンビニの菓子パン1個だけだった。
お店選びに迷いましたが、大海老フライで有名な「漣(さざなみ)」へ。
ランチタイム前でしたので、並ばずに入れました。
数量限定のプレミアムランチとビールで至福の時間を堪能♪
ご馳走様でした。
人気店らしく、この後満席状態に。
昼食後は、お店の前にある鳥羽城跡の城山公園を訪れました。
織田信長や豊臣秀吉に仕えた九鬼水軍の将、九鬼嘉隆が築いた城跡です。
公園からは鳥羽湾が一望できます。
天守閣跡へ向かう途中にある石垣。
天守閣跡。
うーむ、見晴らしは良いですが、特に何も無い(苦笑)…。
鳥羽小学校の運動場として使用されていたそうです。
鳥羽駅に戻る途中、賀多神社(かたじんじゃ)の案内板が目に留まりました。
どんな神社なのでしょうか。
とりあえず、行ってみました。
商店街の中を歩いて行きます。
とても静かな商店街。昔ながらの個人商店がほとんどです。
コンビニを過ぎると住宅街になります。
住宅街の中に、賀多神社がありました。
看板の矢印通り右へ曲がると、
賀多神社がありました。
鳥居をくぐり、まずは拝殿へ。
素朴ですが、良い雰囲気のある神社。
本殿の背後には鳥羽三山のひとつ日和山(ひよりやま)があります。
日本で初めての無線電話が神島・答志・日和山で行なわれた記念碑があります。
わたくしは今回登りませんでしたが、ここから見ることのできる鳥羽湾の眺めも素晴らしいそうです。
神社の右脇に登山口がありますので、参拝後に行ってみるのもいいですよ。
境内には、明治以降の戦争で亡くなった氏子や近在の方の慰霊を祀る祖霊殿と豊栄稲荷神社があります。
境内を撮影していると、掃除をしていた神主さんが話しかけてきました。
境内の一角にあるスペースは、組立式の能舞台を設置する場所だそうです。
組立式舞台は江戸時代中期に作られ、全国で唯一のものだそうです。
今では、県の有形文化財に指定されています。
舞台の他にも、能楽で使用する能面や衣装なども神社の宝物とされています。
お話しを聞くと舞台の設置には日数や費用もかかり、かなり大変とのこと。
本当は常設して観光客や参拝者を増やしたいそうですが、全国で唯一の組立式能舞台。お役所が首を縦に振ることはありませんよね。
そして、境内の入り口にある樹齢400年の千本杉。
鳥羽城主・九鬼嘉隆は、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに、軍船「日本丸」を境内の大樹を材料に建造しました。
朝鮮から凱旋帰国した九鬼嘉隆は、報恩のため境内に杉を千本植樹しましたが、現在はこの一本だけが残ったことから千本杉と呼ばれるようになりました。
神主さんからの説明によると、朝鮮出兵のときに初めて日本国の国旗である日の丸の旗が、この日本丸で使用されたとのことです。
また、日本丸の船首部分にあった龍の形をした船首象は、伊勢神宮の宝物殿に保管されていましたが、太平洋戦争で空襲を受けて焼失してしまったそうです。
最後に、当神社は映画ゴジラが初めて日本に出現した場所として一部のマニアの聖地となっています。
ゴジラが復活した架空の島大戸島にある神社の神楽シーンは、賀多神社で実際に行われている神楽を映画に使用したそうです。
シン・ゴジラ公開後は、巡礼に訪れる人が増えてきたとのことです。
駅から歩いていける距離ですので、興味のある方はぜひ訪れてみてください。
それでは、また。