信濃国一の宮 諏訪大社(上社前宮と本宮)
信濃国一の宮諏訪大社を巡る 上社編
2日目は、諏訪大社上社をお参り。
上諏訪駅のビジネスホテルをチェックアウトし、茅野(ちの)駅へ。
駅の西口を出てベルビアという商業施設の前の通りに出ると、大鳥居を発見。柱にある標石を見ると参拝道と刻まれている。
どうやら、ここが正式な参拝ルートのようですね。
グーグルマップのルートとは違うが、この参拝道を通って上社前宮を目指しました。
上川にかかる神橋を渡り、国道152号へ。
歩くこと30分。上社前宮に到着。
むむ!?平日の午前9時前なのに駐車場にけっこう車が停まっている。
一の鳥居。どことなく風格が感じられる。狛犬も迫力がありますね。
しかし、駐車している車の数に比べて参拝者が少ない。
鳥居をくぐり、階段を上った左手にあるのは十間廊(じっけんろう)。
昔は神原廊(ごうばらろう)と呼ばれ、たくさんの貢物がここに供えられたようです。
右手には、内御玉殿(うちみたまでん)。
この社には、諏訪明神の祖霊が宿った神宝が納められていたそうです。
案内書きを呼んでいると、神主さんと総代さんの一団がぞろぞろと下りて来ました!
後から知りましたが、この日は月次祭でした。
なるほど、それで車が多かったわけだ。
内御玉殿の前に整列すると、皆深いお辞儀。
厳粛なムードに圧倒されて写真を撮るのを控えてしまいました。後から一人で来た神主さんが礼拝しているところを失敬して。
上社前宮本殿へ
ゆるい坂道を上り、前宮本殿へ。周囲には民家と畑があり、のどかな雰囲気。
前宮本殿。
主祭神である建御名方神が最初に居を構え、諏訪大社発祥の地と伝承された場所。
いや~、風格がありますね。
本殿の手前にある「水眼(すいが)の清流」。
下社春宮の浮島に流れる川もそうですが、水が本当にきれい!
上社本宮へ
本宮へは歩いて30分程です。
途中で北斗神社に寄りました。こちらは別で紹介します。
北参道から境内へと入ります。
手水舎の隣りには、神明湯という温泉が湧き出ている手水があります。
一の御柱。
このまま正面の石段を上って拝殿へ行ってしまいそうですが、本宮には参拝の順路があります。
まずは、一の御柱を左へ進みます。
進んでいくと神楽殿があります。文政10年(西暦1827年)建立。
舞台にある大きな太鼓が鳴るのは元旦の朝のみだそうです。
神楽殿の隣りには土俵が。
毎年9月15日に十五夜相撲神事が行なわれます。
ニの御柱と大欅。
入口門の近くにある出雲社から、三の御柱を遥拝することができます。
この入口門の回廊はすばらしいですね!わたくしは、三回往復しました!
長い回廊の脇には建物が並んでいます。その中のいくつかを紹介します。
まず入口にあるのが絵馬堂。
全国の崇敬者から寄進された絵馬や額が展示されています。
ちゃんと父神もお祀りされています。摂社の大国主社。
四脚門(よつあしもん)。
かつては大祝(おおほうり)という神職だけが、硯石と呼ばれる磐座へ登るときに通れる門でした。
天正10年(西暦1582年)に焼失してしまいましたが、その後江戸幕府を開いた徳川家康が大久保長安に命じて再建。天正10年といえば、織田信長の軍勢が武田領に侵攻し、武田勝頼が滅亡した年。
回廊を渡り、拝殿の宮域内へ。
ここの手水も温泉です。苔の生え具合も良い感じ!
こちらが参拝所。
奥にあるのは弊拝殿。左右に片拝殿、中央に拝殿、拝殿の奥に弊殿という造り。
宝物殿の横から四の御柱を遥拝できました。
最後に社務所で御朱印をいただきました。初穂料は500円。
遅い昼食は、茅野駅にある立ち食いそば「白樺」さんで。
鹿肉そばの特上をいただきました。値段は540円。
ちょっと贅沢。
とっても美味しかったですよ!
次は6年後の御柱祭に訪れたいと思います。
それでは、また。
諏訪大社上社へのアクセス
信濃国一の宮 諏訪大社(下社秋宮と春宮)
信濃国一の宮諏訪大社を巡る 下社編
諏訪大社は、日本国内に一万余あるという諏訪神社の総本社。諏訪湖の南北に上社と下社に分かれ、さらに上社は前宮と本宮、下社は春宮と秋宮に分かれています。創建は不明ですが、もっとも古い神社のひとつ。
主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)。
建御名方神は出雲大社に祀られている大国主神の御子神で、「古事記」の国譲りで高天原から派遣された建御雷神(たけみかづちのかみ)と力比べの勝負をした勇猛な神。
7年ごとに行なわれる御柱祭は有名ですよね。
今回は一泊二日で長野県の諏訪大社を訪れました。初めての諏訪大社。楽しみです!
下諏訪駅には3時間で到着。まずは下社の秋宮へ向かいます。
駅舎を出ると、早速、諏訪大社のシンボルのひとつ御柱がありました!
諏訪大社下社秋宮
駅から徒歩12分程で秋宮に到着。
境内の外にある手水舎で手と口を清めます。
鳥居をくぐって境内を進むと、まず視界に入ってきたのは巨大な杉の木。
この杉の木は「根入りの杉」といわれており、丑三つ時になると枝先を下げて寝入り、いびきが聞こえるそうです。
そして、正面に見えるのが神楽殿。天保六年(西暦1835年)、諏訪地方を中心に活躍していた立川流の宮大工、二代立川和四郎富昌によって造られました。
長さ13mある注連縄は出雲大社型の注連縄では日本一を誇り、両脇の狛犬も青銅製のものでは高さ日本一だそうです!
神楽殿の奥にあるのが幣拝殿。
安永十年(西暦1781年)に建立。神楽殿とともに国の重要文化財に指定されている歴史のある建物。彫刻に魅入ってしまいました。
幣拝殿の奥に見える建物は、境内ガイドを見ると宝殿と記されています。
自然信仰の諏訪大社には本殿がありません。代わりに秋宮ではイチイの木を御神木として拝しているとのこと。
諏訪大社のシンボルともいうべき四本の御柱も見ることができました。
けっこう大きいですね。御柱祭見物してみたい!
境内の散策を終えて、鳥居近くに鎮座する秋宮恵比寿社と千尋社の末社をお参りしているとオルゴールの音色が。
どうやら手水舎の隣りにあるオルゴール塔が鳴ったようです♪
正時になるとオルゴールが鳴りますので聞いてみてください。近くには日本電産サンキョーのオルゴール記念館がありますので興味のある方は寄ってみてはいかがでしょうか。
諏訪大社下社春宮
中山道の大社通りを進み、春宮大門へ。
こちらにある大鳥居から春宮を目指します。
大門通りを歩いてゆくと道の真ん中に「下馬橋」が。
下社で最も古い建造物。昔はどんなに身分の高い人もこの橋の前で馬や籠から降りて参拝したそうです。
それにしても別の場所に移されず、道路の真ん中にそのまま大切に残されているって、すごい!
春宮に到着。
鳥居をくぐると正面には神楽殿が。
現在の建物は昭和11年に改修されたもの。
神楽殿の近くにある「結びの杉」。
梢が二又に分かれていますが、根元でひとつになっていることから縁結びの杉と呼ばれています。
神楽殿の奥は幣拝殿。
幣拝殿と左右にある片拝殿は、安永9年(西暦1780年)造営。 秋宮より幅が短い。
改めて御柱を見るとその大きさに圧倒されます。
これをしっかりと固定するのも大変そう。ちなみに、春宮の御神木は「杉の古木」。
春宮をお参りした後は、「万治の石仏」へ。境内から行くことができます。
川の間にある浮島神社を通ります。
奥の赤い橋を渡り先を進むと万治の石仏があります。
先にお参りしている人が、何で石仏の周りをぐるぐる回っているのかと思ったら、正式なお参り方法があったのですね。
わたくしも願い事がかなうよう、このようにお参りしてみました。
よろしくお願いいたします!!!
ここから川沿いを下ったところに岡本太郎揮毫の碑があります。
川の水も澄んでいてとてもきれいでした。
橋の上から浮島を撮影。
諏訪大社下社周辺は見るところがけっこうあります。
わたくしは、武田信玄ゆかりの矢除石がある慈雲寺と赤報隊隊長相楽総三のお墓へ行きました。こちらはまたの機会に書きたいと思います。
それでは、また。
諏訪大社下社へのアクセス
調神社 埼玉県さいたま市浦和区
浦和レッズの本拠地にあるパワースポット調神社へ
浦和といえば、サッカーJリーグ浦和レッズの本拠地。
浦和レッズの選手やスタッフが必勝祈願に訪れることで有名な神社です。
今回は、さいたま市浦和区に鎮座する調神社(つきじんじゃ)を訪れました。
最寄駅はJR「浦和駅」。
西口を出て歩くこと約10分、県道213号線沿いに調神社があります。
境内の入口。あれ?鳥居がありませんね。
そうなんです。ここ調神社には鳥居がないのです。
神社の七不思議のひとつにあげられていますが、昔、神社は伊勢神宮に奉納する初穂を保管する倉庫群の中にありました。その奉納物を運搬する妨げになるということで鳥居が作られなかったと伝えられています。
昔ここは租税の集積所だったのですね。
それにしても伊勢神宮への奉納物って、いったいどのくらいあったのでしょうか…。
調宮縁起によれば、第十代崇神天皇の勅命により創建されたとあります。
延長5年(西暦927年)に編纂された延喜式神名帳には、武蔵国四十四座のうちの一社として記載されています。とても歴史のある神社なのですね。
それでは、境内に入ってみましょうか。
境内入口の狛兎もそうですが、手水舎にも兎の石像があります。
調(つき)が月と同じ読みなので月神の神使(つかわしめ)である兎像が設置されているのです。
こちらが社殿。
本殿と拝殿が一体となった権現造です。現社殿は江戸時代末期に造営されました。
神池近くにある神楽殿。
神池。池の中心部にも兎の石像がありましたよ。
池の側にある橋を通り稲荷社へ。
元は調神社の旧本殿だそうです。
御朱印は、社殿の隣りにある社務所でいただけます。
初穂料は500円。他の神社と比べるとお高い。
地元の方に親しまれている良い神社。平日のお昼でも参拝に訪れる人の姿が見られました。
境内にはベンチがありますのでのんびりできますよ。
一度訪れてみてはいかがでしょうか。
調神社へのアクセス
JR「浦和駅」徒歩10分
櫻木神社 千葉県野田市
しょうゆの街野田市にある櫻木神社へ
野田市といえば皆さんは何をイメージするでしょうか。
ほとんどの人が「しょうゆ」をイメージすると思います。
しょうゆ最大手のキッコーマン株式会社はこの地で創業し、本社も野田市にかまえていますからね。
工場見学も良いのですが、わたくしの目的地は「神社」です。
そして、この季節は境内や参道に植えられた桜が咲いて最も華やかに演出されます。
「神社」と「桜」。これを見ると日本に生まれて良かったとつくづく思いますよね。
この神社には、日本三大桜のひとつである福島県三春町の「三春滝桜」の実生クローン種の桜が植えられています。
福島県は我が故郷。幼い頃に一度だけ家族と親戚で三春滝桜を見たことがあったっけ。
訪れた日は3月28日。
最寄駅の東武アーバンパークライン「野田市駅」で下車し、歩いて向かいました。
改札を出て駅舎の左脇にある「ミニストップ」前の通路を通ります。
県道46号。踏切手前の電柱に神社への案内がありますので、矢印の方向に従って道路を渡ります。
道路を渡ったら駐輪場と住宅地の道を直進し、突き当りを右折します。
次に電柱を左折します。
案内看板の指示通り道路を渡ります。神社まであと少し。
神社の敷地は高い塀によって囲まれています。
塀の先を右に曲がり、しばらく歩くと到着します。
着きましたよ。まずは神社入口の楼門をくぐって境内に入ります。
名前の通り、神紋は桜の花びらです。
楼門の扉には金色の新紋の装飾が施されています。きらびやかですね~。
境内を入って右手にある手水舎。とてもきれいに管理されています。
手水舎で手と口を清め、拝殿へ。
拝殿も立派で美しい。気品がありますね。
御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)の四柱です。
創建は仁寿元年(西暦851年)。藤原鎌足の子孫である藤原冬嗣の三男嗣良公が、この地に居を移した時、美しい桜の大木があり、この木のもとに倉稲魂命を祀り、その後武甕槌命を祀ったのが始まりと伝えられています。
御朱印は、授与所でいただくことができます。
「桜の木」の御朱印帳は入荷待ちのようですね。思わずおじさんでも欲しくなります。でも、ここは我慢。今の御朱印帳をいっぱいにしないと。
限定の御朱印帳まである! 1000部限定だそうです。
ここの神主さんは商売上手ですね。4月1日以降に訪れていたら、間違いなく購入していました。
絵馬にも桜が。
女子必見!女子力が向上する川屋神社!?
境内を散策していると、社務所前にトイレと「川屋神社」なる案内標識を発見。
建物はとてもトイレには見えません。
むむ、出入口には注連縄がありますよ。
中に入ると、お社がありました。これが、「川屋神社」です。
建物内には雅楽をイメージしたBGMが流れています。
御祭神は、埴山姫神(はにやまひめのかみ)と弥都波能売神(みつはのめのかみ)。
美人成就、健康成就、安産、子授け、福徳、下半身の病、目・耳の病の治療などに御利益があるそうです。
トイレは、とても綺麗です。お参りしたら、ぜひ寄るべきですよ。
利用した人は入った途端、感嘆の声を挙げていました。
最後に、「三春滝桜」の実性クローン種がある大鳥居側の駐車場へ向かいました。
楼門を出たところに咲いているのは雅桜。
そして、「三春滝桜」の実性クローン種。
見事に咲いていましたよ。
いや~、きれいですね。
これから桜は満開となります。
櫻木神社の桜、ぜひご覧になってみては。
あと、トイレも忘れずに、、、。
それでは、また。
櫻木神社へのアクセス
東武アーバンパークライン「野田市駅」より徒歩10分。
月読神社 鹿児島市桜島
桜島のパワースポット月読神社へ
鹿児島旅行最終日は、桜島に鎮座する月読神社を訪れました。
鹿児島港からフェリーに乗船し、桜島へ。
桜島港フェリーターミナルを出て、道路を右へ歩いていくと月読神社に到着しました。
階段を登ると大鳥居があります。
参道の両脇には、南国らしくヤシの木が見られます。
こちらが拝殿。
月読神社は、名前の通り月読命(つくよみのみこと)をお祀りしています。
和銅年間(西暦708~715年)に創建されましたが、大正3年(西暦1914年)の大噴火により、社殿は溶岩の下に埋没してしまいました。その後、昭和15年(西暦1940年)に現在の位置に移設されたとあります。
境内には展望台があり、錦江湾を一望できます。
展望台からの錦江湾。
参拝後は周辺を散策。
レインボービーチの近くにある厳島神社。
烏島展望所。
島がこの下に埋没しているなんて大正の大噴火ってすごかったんですね。
残念ながら、帰りの飛行機の時間のため烏島展望所を最後に桜島を跡にしました。
機会があれば、火山灰で埋没した黒神埋没鳥居を見たいですね。
それでは、また。
月読神社へのアクセス
桜島港フェリーターミナルより徒歩3分
大隅国一の宮 鹿児島神宮
全国一の宮めぐり 鹿児島編
伝承によれば、この地が応神天皇出生の地であることから八幡宮の祭神を合祀し、九州五所別宮のひとつとして、かつては大隅正八幡宮と称しました。
御祭神は、天津日高彦穂穂出見尊(あまつひたかほほでみのみこと)、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)。
天津日高彦穂穂出見尊とは、「古事記」海幸彦・山幸彦の神話に登場する山幸彦の尊称で、筑紫の国の祖神としてこの地に高千穂宮を営んだと伝えられています。
訪れたのは3月7日、霧島神宮参拝後でした。
最寄駅はJR日豊本線「隼人駅」。霧島神宮駅からは2駅目です。
駅舎は横長の平屋建て。屋根上には薩摩藩主であった島津家の家紋が付いています。
鹿児島神宮は、駅から歩いて約15分程の距離にあります。
長い表参道にかかる大鳥居。明神鳥居ですね。
参道は自動車が通りますので、写真撮影の際は気を付けてください。
参道途中にある宮内小学校。「茶わん虫の歌」発祥の地だそうです。
鹿児島県では有名な歌みたいです。
二の鳥居です。
二の鳥居近くにある神馬舎。
社殿へは正面の石段を上っていきます。
中腹には樹齢約800年と伝わる立派な御神木があります。
御神木の側にあるのは雨之社。豊玉比売命の父・豊玉彦命を祀っています。
社殿に着きました。
まずは左手にある手水舎で手と口を清めます。
水口にはセンサーが付いているのでしょうか。人が近付くと水が流れます。
拝殿と本殿はつながっている造りとなっています。
本殿は宝暦6年(西暦1756年)に藩主島津重年公により再建されたもので、県内でも最大級の広さを誇ります。
拝殿内の天井格子には鮮やかな花などの植物の絵が描かれています。残念ながら拝殿内は撮影禁止となっていました。
お参りしたときは、ちょうど参拝者の方の御祈祷が始まりました。神主さんの祝詞が心地良い。
御朱印は、拝殿から階段を下りたところ、御神木の近くに社務所がありますので、こちらでいただくことができます。
広い境内には摂社や末社があります。せっかくですからこちらにもお参りしましょう。
まず、おすすめするのは稲荷神社。境内の駐車場近くに入口があります。
約150メートルあるという参道を通ります。
摂社の稲荷神社で、これ程の数の鳥居があるのは珍しいですね。
横に走る道路を横断します。
道路の先にある鳥居の形が変わりましたね。目的地までもうすぐです。
鬱蒼と茂る杜。苔むした石。神秘的な雰囲気。
着きました! 稲荷神社です。
四体の神使の狐に守られていて幽玄な雰囲気を感じます。
周囲を散策すると怪しい窪みを発見。この場所は一体何なのだろうか。
わたくしの他にいた人達はここの存在を知らず、参拝を終えると帰ってしまいました。
場所は秘密です。
興味のある方は立ち寄った際、探してみてください。
最後は、石體神社(しゃくたいじんじゃ)です。
元は高千穂宮のあった場所で、鹿児島神宮もこの場所にありました。
和銅元年(西暦708年)に神宮が現在の位置に遷った後、その跡地に建てられたという古い神社です。
小さいながらも歴史のある神社。雰囲気がありますね。
石體神社は安産に御利益があり、地元では人気があるそうで戌の日には安産祈願が行われます。
神社本殿傍の石塔にある小石をご神体の代わりにひとつ持ち帰り、無事出産したらひとつ加えてお返しする慣習があるそうです。
画鋲が落ちてしまったのでしょう。逆さまになっていました。
時間とお金に限りがありますが、マイペースで一の宮めぐりを楽しみたいと思います。
それでは、また。
鹿児島神宮のアクセス
霧島神宮に初めて行ってきました
霧島神宮へ
鹿児島旅行3日目。
この日は霧島神宮を目指しました。
5時43分、鹿児島駅を始発の列車で出発。6時28分、霧島神宮駅に到着しました。
グーグルマップで調べたら霧島神宮までは歩くと1時間20分かかります。
旅先ではジムに通えないのでカロリーを消費するために霧島神宮まで歩きます。
霧島川沿いの道を上流に向かって進んで行きます。
霧島川にかかる田口橋を渡ります。欄干には天狗の面のモニュメントが。
7時35分、駅からあるくこと1時間7分、大鳥居に到着しました。
神社めぐりは、けっこう歩いたり階段を上り下りしたりするので良い運動になりますね。
大鳥居は巨大で風格があります。
大鳥居を抜けるとロータリーへ。バス停があります。
周辺にはお店がありますが、この時間に開いているお店はありませんね。
神宮へはこの神橋を渡って行きます。
社号標脇の石段を上ります。
二の鳥居。きれいな朱色。
この時間は参拝者がいませんでしたので、写真撮影が楽です。
普段は人が映らないように通り過ぎるのを待ったりしますからね。
境内へと続く表参道。
樹木の間から差し込む朝日。空気も違うのが感じられます。
境内に入ると坂本龍馬とおりょうさんが笑顔で迎えてくれましたよ。
お二人の後ろには展望所があります。左奥に見えるのは桜島でしょうか。
参拝者休憩所付近にある「神聖降臨之詩碑」。
この詩は、昭和27年卒寿を迎えた思想家・徳富蘇峰の詠詩揮毫(えいしきごう)で、詩碑は同年8月22日、照国海運の社長であった中川喜次郎兄弟とその父親により同社が建造したタンカー「霧島丸」の進水を記念して奉納されたものだそうです。
徳富蘇峰といえば「近世日本国民史」の著者として有名ですよね。
その「神聖降臨之詩碑」の隣りには招霊木(オガタマノキ)が植えられています。
8時近くになると出勤する神職の方や巫女さんが次々と社殿の方へ向かって行きます。
参拝者の方もちらほら。
三の鳥居をくぐり、社殿へ続く参道を通ります。
また空気というか雰囲気が一段変わります。
朱塗りの社殿。
荘厳な雰囲気に感動しました。
御神木と手水舎。
まずは参拝する前に手と口を清めます。
あれ??? 水が温かい!
なんと温水なんですね。いや助かりました。
この日は手袋をしていても手がかじかんでしまう程の寒さでしたから。
参拝を終えて境内を散策しました。
こちらは神楽殿。立派な建物です。
次に山神社へ向かいました。
山神社の鳥居。
小さなお社ですが、空気がまったく違う。
お酒や焼酎が奉納されています。わたくしも持って来ればよかったな~。
山神社の次は旧参道へ。
中腹にある霧島七不思議のひとつ「亀石」。
旧参道はけっこうな坂道。
同じく七不思議のひとつ「御手洗川」。
11月から4月頃まではほとんど枯れているが、5月頃から非常な勢いで大量の水が湧きだすそうです。
こちらは「両度川」。これも七不思議のひとつで、毎年6月頃から流れだし、8月か9月頃には水が枯れてしまう川で、毎年同じ時期に決まって水が二度流れることから両度川と名付けられたそうです。
他にも文字岩、風穴、蒔かずの種、夜中の神楽などの七不思議があるそうですが、興味のある方は7か所すべて巡ってみてはいかがでしょうか。
バスの時間まで参拝者休憩所で、ぜんざいをいただきました。この日、最初の食事。
料金は300円で、たくあんが付いてきます。
箸でたくあんを取ろうとしましたが、寒さで手がかじかんでいて掴めません。
優しい店員さんが皿にたくあんをよそってくれました。
ありがとうございました。とても美味しかったです。
10時頃になると、団体の外国人観光客で賑わってきました。
この後は鹿児島神宮へ。
それでは、また。
霧島神宮へのアクセス
※ 徒歩の場合約1時間20分。