下野国一の宮 宇都宮二荒山神社
餃子のまち宇都宮に鎮座する二荒山神社を参拝
日光で一泊し、2日目は宇都宮二荒山神社へ。
日光の二荒山(ふたらさん)と区別するために、宇都宮の方は「ふたあらやま」と呼ばれています。
最寄りの宇都宮駅はJRと東武の二つの駅がありますが、東武宇都宮駅が一番近いので東武線で向かいました。
東武宇都宮駅からアーケード屋根のオリオン商店街を通って、10分程で目的の二荒山神社に到着しました。
パルコなどの大きなビルが立ち並ぶ市街地に、ドでかい朱い鳥居が目立つ。
両部式の明神鳥居は、高さ6.9m程。近くで見るとけっこう迫力があります。
参道は階段となっています。
階段を登りきったところからの眺望。
歴史を感じさせる神門。
境内は七五三詣の参拝者がちらほら。子供たちが元気に走り回っていました。
お清めしようと手水舎に行きましたら、鳩が一心不乱に水飲み中でした。
すみません、お邪魔します~。
二荒山神社の御祭神は、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)。第十代崇神天皇の御子で、四道将軍として東国平定に尽力しました。
社記によれば、仁徳天皇の御代に国造として赴任した奈良別王が祖先である豊城入彦命を祀ったのが始まりとされます。「延喜式」には名神大社として記載され、平将門を討った藤原秀郷をはじめ源頼朝、徳川家康も戦勝祈願に訪れるほど尊崇されました。
現社殿は、戊辰戦争で焼失した後、明治10年に再建されたもの。
拝殿前の狛犬さんたち。
御朱印をいただいて、境内を散策してみました。
本殿の横にある女体宮。安産の神様として知られているそうです。
本殿左側にある末社、初辰稲荷神社と明神の井戸。
七五三詣の記念撮影の人気スポットのようです。
じっとせず、ふざけたポーズをとるお子さんに怒るお母さん。うん、良い光景だ。
稲荷神社の右側にある井戸は古くから名水として知られ、明治天皇行幸の折、この井戸水でお茶を立て、賞賛のお言葉をいただいたそうです。
本殿の右側、須賀神社・市神社。
境内の中でもここだけ空気というか雰囲気がちがう。
面白い表情をした狛犬さんがいました。
参道の階段中腹の両側にも末社がありました。
左側。手前から剣宮、十二社、菅原神社。
参拝を終え、お昼は宇都宮餃子を食べようと、MEGAドン・キホーテの地下1階にあるフードコート「来らっせ本店」へ。
こちらでは、市内の名店の餃子をいろいろ味わうことができます。
おっさんは、日替わりと常設店舗のコーナーに行って餃子と地ビールを堪能。
帰りはJR宇都宮駅から新幹線で。
都心から近いので日帰りでも十分にお参りできます。参拝と合わせて名物の宇都宮餃子をぜひ味わってみてください。
ご覧いただき、ありがとうございました。
宇都宮二荒山神社へのアクセス
下野国一の宮 日光二荒山神社
世界文化遺産『日光の社寺』の一社、二荒山神社を参拝
10月22日(月)から23日(火)、1泊2日で栃木県の日光と宇都宮の二荒山神社の一の宮めぐりをしました。
初日は日光二荒山神社へ。
日光は中学の修学旅行以来、33年ぶり。東照宮の記憶しかありません。
特急リバティに乗って日光へ
せっかくなので浅草駅から特急列車に乗って向かうことに。
6時30分発の特急列車は、1号車から3号車が会津田島行き、4号車から6号車が東武日光行きの6両編成。途中の下今市駅で車両が別れます。
全席指定なので満席の場合は乗車することができませんので注意が必要です。
なので、週末や観光シーズンは事前にネットで席を予約することをおすすめします。
ちなみに、この日は平日にもかかわらず満席でした。
終点東武日光駅には8時22分に到着しました。
バス停には行列ができている。
歩いても30分程度なので、おっさんはてくてく歩いて行きます。
日光の表玄関、二荒山神橋を歩いてみた。
日光に着くと、朱塗りが映える「神橋」に目が引かれます。二荒山神社の建造物のひとつで、世界文化遺産となっています。
聖地日光を開山した勝道上人の伝説にまつわる橋で、「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」とも呼ばれています。その昔、勝道上人とその一行が男体山を登頂するため日光に訪れましたが、大谷川の激流に行く手を阻まれ困り果てていました。上人が祈ると、深沙大王と名乗る神人が現れ、手から赤と青の二匹の蛇を放つと蛇は橋となりました。その蛇の背中に山菅が生えたことで滑らずに無事に渡ることができたことから、こう呼ばれているそうです。
通行料300円を払って橋を渡ってみることに。
巫女の「神尾明里」さんにご挨拶。
橋の渡り口には、守護神である「橋姫神」様の祠があります。対岸には深沙大王を祀る深沙王堂があり、男女一対となって橋の守護神として信仰されています。
残念ながらこの先は行き止まり。
向う側に渡るには、入口に戻って日光橋を渡らなければなりません。
下野国一の宮 日光二荒山神社
深沙王堂をお参りして、表参道の長い坂を登っていきます。
東照宮五重塔の手前の参道を左に行くと神門側。奥の参道を左に行けば楼門側から入れます。
こちらは神門側。江戸幕府第三代将軍徳川家光公の霊廟、家光廟大猷院が側にあります。
日光二荒山神社は、天応二年(782年)日光を開山した勝道上人が男体山山頂に奥宮を創建したのが始まりとされます。
元和三年(1617年)、江戸幕府を開いた徳川家康を祀る東照宮が建立されると、幕府から篤く崇敬されるようになり、元和五年(1619年)には、二代将軍徳川秀忠によって本殿や拝殿が造営されました。
現社殿などは日光最古の建造物だそうです。
御祭神は、大巳貴命。
御朱印をいただき、境内を散策してみました。
神楽殿前にいる狛犬は、普段目にしている阿吽の型ではなく、どちらも開口している珍しい狛犬。
説明書きによれば、飛鳥時代に伝わった当初は、獅子の姿をしており左右どちらも口を開いていたそうです。
最後に、入場料200円を払って神苑へ。
苑内には「縁結びの笹」や「二荒霊泉美人の水」、「化け灯籠」などがあります。
別宮滝尾神社にお参りしてみた。
東照宮は激混みでしたので、滝尾神社と白糸の滝へ向かいました。
道中にある「空焔地蔵」。
「空焔」とは、三代将軍家光の小姓を務め老中に出世した阿部忠秋で、四代将軍家綱まで仕えました。
阿部家が忠秋のお墓を家光の霊廟の一角に造った際、勝道上人を男体山登頂に導いた地蔵尊が現れた場所であることを聞いて造立した石像です。
さすがにこの辺りは観光客がいませんでした。
自然を楽しみながらゆっくりと散策できます。
女峰山に向かう登山口に建つ行者堂の脇道を下っていくと案内標識がありますので、あとはその方向に進むだけ。
白糸の滝が見えましたー。いや、素晴らしい!
橋を渡り滝尾神社へ。
日光責めで有名な輪王寺の「強飯式(ごうはんしき)」発祥の地、別所跡。
影向石。神仏が仮の姿をしてこの世に現れることを影向(ようごう)と呼ぶそうで、昔、弘法大師がお祈りしたとき、女神が現れたと云われています。
そして、運試しの鳥居。額束の開いた穴に小石を三つ投げて穴を通った数で運を試したそうですが、誰もいなかったのでやってみました。
結果は…12回投げてようやく穴を通りましたが、地元の人に聞いた話によると三回投げてダメだったらお参りして不運をリセットして、また三回投げる。これが正式な作法とのこと。くれぐれも人がいないときに運試しをしてください。小石とはいえ、当ると危険ですので。
拝殿に続いて本殿をお参り。
御神木の「三本杉」。現在の杉は二代目だそうで、倒れた親木はそのままにしておくのが習わし。今も横たわっているそうですが、手前の倒木が初代なのだろうか。
奥に進んで行くと、霊泉「酒の泉」や子種石がありました。
こちらは子種石。
脇に流れる川は白糸の滝の上流のようで、さらに奥に進んで行くと滝がありました。
静寂な空気に包まれていて、とても居心地が良かったです。
日光参拝の折に、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
日光二荒山神社へのアクセス
陸中国一の宮 駒形神社
全国一の宮めぐり 岩手県奥州市駒形神社を参拝
大宮から東北新幹線で一ノ関へ。ここで東北本線に乗り換えて水沢駅へ移動しました。
一ノ関では、ピカチュウがお出迎えしてくれましたよ。
盛岡行きの電車は、祝日ということもありけっこうな混みよう。
24分ほどで水沢駅に到着しました。
神社は、駅から歩いて10分程の距離。
水沢公園の一画にあります。
まずは、狛犬さんにご挨拶を。
ちょうど頭にトンボが止まっていました。
鳥居をくぐり、手水舎へ。
よく見ると、水盤の底に亀のオブジェが。
門をくぐって境内へ。
お宮参りの参拝者がちらほら。
駒形神社は、雄略天皇の御代(456年)、第十代崇神天皇の末裔である上毛野胆沢公が駒ヶ岳山頂に駒形大神を勧請したのが始まりとされます。
御祭神は駒形大神という神様で、天照大御神・天之常立尊・国之狭槌尊・吾勝尊・置瀬尊・彦火火出見尊の六柱の神様を総称しています。
征夷大将軍坂上田村麻呂や源頼義・義家父子、平泉に栄華を築いた奥州藤原氏からも篤く崇敬されました。
七五三用なのか待合室にポケモンの神主が。和む~。
御朱印をいただいた後、境内を散策してみました。
本殿脇にある末社の山神社。大山祇神と木花開耶姫神をお祀りしています。
商売繁盛と安産の御利益があるそうです。
その後ろに奥宮遥拝所の碑が建っています。
別宮の鹽竈神社。
豪族阿部貞任を討伐した源頼義・義家父子が勧請したと云われ、第7代水沢城主留守村義によって現在地に遷されました。
明治4年になると、駒ヶ岳山頂の駒形神社本宮が国弊小社になったのに伴い、参拝するのに不便であることから仮遥拝所となり、明治7年正式な遥拝所となりました。そして明治34年、山頂から御神霊が奉遷され、鹽竈神社は春日社に合祀されたそうです。
境内や手水舎近くには、ひょうたん御守りや絵馬が奉納されていました。
最後に、境内には福猫の現れる木があります。
よ~く見てみないと分かりません。
ゆっくり探してみてください。
水沢公園は県内有数の桜の名所だそうですので、お花見がてらお参りしてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
駒形神社へのアクセス
備前国一の宮 石上布都魂神社
岡山の神社旅2日目、石上布都魂神社を訪ねる
本日、目指す神社は、石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)です。
『延喜式神名帳』に記載された3,132座のうちのひとつで、備前国では128社の中で正二位に列せられた古社。
御祭神は素戔嗚尊。
その素戔嗚尊が、八岐大蛇を斬ったという天十握剣(あめのとつかのつるぎ)を最初に祀った神社であり、剣は崇神天皇の時代に大和国(奈良県)石上神宮に遷されました。
宮司さん不在の時がありますので、御朱印を直接いただきたい方は、事前に電話で確認した方が良いです。
この日は、出掛ける用事があるそうで、午後2時までは不在との返答でした。
石上布都魂神社まで歩いて行ってみた
ここからの移動手段は、徒歩かタクシーしかありません。
まぁ、タクシーを使うのが一番楽なのですけれど、今日は石上布都魂神社だけの予定ですので、天気も良いことですし、のんびり行きましょうか。
と、いうことで歩いて行ってみました。
宇甘川を架かる橋を渡って岡山街道へ。
金川大橋の手前に架かる歩道橋を利用しました。こっちは、自転車や歩行者専用なんですかね。
こちらが金川大橋。
橋からの眺め。
グーグルマップに従い、県道255号をひたすら歩く。
五城小学校付近。
看板発見。あと5キロか…。
新庄川沿い。
平川西公民館付近。
まだ、あと2キロもある。
この辺りからは歩道がありませんので、車に十分注意してくださいね。
石上布都魂神社に到着!
ようやく着いた。いや、遠かった~。
ここから坂道を登っていきます。
表参道の入口。また、坂道を登ります。
階段を登ると手水舎がありました。
きちんと管理されているようですね、水がとってもきれい。
狛犬さんにご挨拶して、境内へ。
拝殿。
平日で、しかも辺鄙な場所にあるのに参拝に訪れる人がちらほらといました。
皆さん、御朱印や御守りなどをいただきたかったようで、午後2時までは不在であることを教えると残念がっていました。
さて、時刻は、まだ午前11時30分。
境内は意外と小さく、本宮や磐座がある山頂も片道15分で行けてしまう。
宮司さんが戻る午後2時までどうやって過ごそうか…。
磐座と本宮のある山頂を登ってみた
休憩所でパンを食べた後、暇なので山頂へ向かうことに。
一応、杖があります。
おっさんは、まだ使わなくても大丈夫♪
意志の坂道からスタートします。
途中、ポイントごとに看板がありますので楽しみながら登りましょう。
途中の眺望です。
あともう少し。
辛い方は唱えながら登ってみてください。
本宮の鳥居に着きました。
鳥居をくぐり、最後はうねった石段を登ります。
登りきったところから、見下ろしてみました。
こちらが本宮です。
やっぱり雰囲気というか空気がちがいますね。
本宮の前にはベンチがあり、ここで休憩することもできます。
背後や周辺には磐座があり、禁足地となっていました。
静かで、心が落ち着きます。
午後1時50分。神社に戻ると、午前中、宮司さんが戻る時間を教えてあげた倉敷市から来られたというご夫婦と遭遇しました。
先程、旦那さんが電話をしたら、社務所に来る予定はなく、御朱印をいただきたいのであれば自宅に来てくださいとのこと。
自宅かーい!おっさん、てっきり社務所に来るものだと思っていました。
宮司宅までは、ここから1.5キロもあるのに…。
ここまで歩いてきたことや埼玉県から来たことに驚いたご夫婦が、自分たちの車で一緒に行きましょうと仰ってくださったので、ここはお言葉に甘えて車に乗せてもらうことに。
おまけに、おっさんがお昼を食べてないと思い、神社に来る途中でコンビニに寄って買っておいたお茶とパンをいただきました。
もう、感謝、感謝です。
御朱印をいただくことができたうえに金川駅まで送ってもらい、大変助かりました。
おかげで帰りは歩かなくて済みました。
本当に、ありがとうございました。
※御朱印は要連絡です。
車が無い方は、金川駅からタクシーで行かれた方が良いかも。
ご覧いただき、ありがとうございました。
石上布都魂神社へのアクセス
備中国一の宮 吉備津神社
桃太郎伝説のモデルの神様を祀る吉備津神社へ
吉備津彦神社から吉備の中山を登り、次に向かったのは吉備津神社です。
吉備の中山から歩いてくると神社の南側、旧社務所門に到着しました。
こちらは裏口なのですね。
道路を岡山方面に向かって歩いていき、駐車場がある正面入口へ。
入口にある大きな石は、矢置岩といいます。
御祭神・大吉備津彦大神が温羅討伐の際、この石に矢を置いたと云われています。
急階段を登って北隋神門へ。
北隋神門は室町時代中期に再建された建物。
屋根が茅葺というのもいいですね。
北隋神門を登るとすぐに拝殿です。
まずは参拝。
そして、唯一の建築様式「比翼入母屋造」、吉備津造とも呼ばれる国宝の社殿。
これを生で見たかったんですよ。いやー、素晴らしい!
吉備津神社の見どころをいくつかご紹介
①リアル招き猫
まず、ひとつめが社務所近くのおみくじ台にいた白猫さんです笑。
※いつもいるとは限りません。
撫でてあげるとすりすりしたり~
カマキリと場所をめぐって戦ったり~
※猫パンチで勝利しました。
参拝に訪れた人たちから可愛がられていました。
御朱印をいただいている際に、巫女さんに聞きましたら野良猫さんとのこと。
②一童社と絵馬の祈願トンネル
本殿左側の階段を登ったところにある、学問と芸能の神様をお祀りしている一童社。
進学を目指す人たちに人気なようで、合格祈願の絵馬がたくさん奉納されていました。
達磨さんも。
③なが~い廻廊
吉備津神社といえば、吉備津造の社殿ともうひとつ、この全長360mにも及ぶ回廊ですよね。
自然の地形そのままに一直線に建てられているそうです。
おっさんは、2往復してしまいました。
④御竈殿
廻廊を南へ下っていく途中にある御竃殿。
建物の中にある竃の下には、大吉備津彦大神によって退治された鬼の首を埋めているという伝承があり、釜の鳴動で吉凶を占う鳴釜神事は古来より全国に知られていて、戦国時代にはあの黒田官兵衛も祈願したそうです。
残念ながら建物の撮影は禁止されております。
訪れたときは、ちょうど扉が開いていて中に入って釜を拝見することができました。
このエリアだけ、独特の空気が感じられました。
帰りは、吉備津駅から。
参道の松並木も雰囲気があって良かったです。
翌日は、石上布都魂神社へ。
続きはまた後ほど。
ご覧いただき、ありがとうございました。
吉備津神社へのアクセス
備前国一の宮 吉備津彦神社
全国一の宮めぐり~岡山県岡山市吉備津彦神社~
今回は、2泊3日で岡山県の神社旅。
備前と備中の一の宮・吉備津彦神社と吉備津神社、石上布都魂神社を参拝しました。
まずは吉備津彦神社へ。
神池に浮かぶ参道。
奥に見える隋神門をくぐり、社殿を目指します。
この隋神門は、元禄10年(1697年)に岡山藩主池田綱政公によって造営されました。市指定の重要文化財。
同じく市指定の重要文化財の大燈籠。
安政6年(1859年)に天下泰平を祈願して建立されたもので、高さ11.5m、笠石は8畳ほどもある日本一大きな石燈籠です。
階段を登って拝殿へ。
拝殿と本殿の間にある祭文殿と渡殿。
昭和5年に火災で焼失しましたが、昭和11年飛鳥調の社寺建築の粋を集めて再建されました。
本殿は、戦国時代、日蓮宗への改宗を迫る備前金川城主松田左近将監によって焼かれてしまいますが、江戸時代になると岡山藩主池田氏の崇敬篤く、元禄10年(1697年)に藩主綱政公によって再建されました。
御祭神は、大吉備津彦命。
孝霊天皇の皇子で、第十代崇神天皇の御世、四道将軍として遣わされ吉備国を平定したと伝えられています。
童話の桃太郎は、この大吉備津彦命がモデルとされているそうです。
御朱印をいただき、境内を散策。
こちらは子安神社。
縁結びや子授け、安産、育児、夫婦円満の神様として崇敬されており、子宝に恵まれなかった藩主利隆公が祈願した後、名君の誉れ高い光政公が誕生したと云われています。
隣りには、下宮、伊勢宮、幸神社、鯉喰神社、矢喰神社、坂樹神社、祓神社の七つの末社が立ち並んでいます。
神池に浮かぶ亀島にある亀島神社。
亀島という名のとおり、池には亀がたくさんいます。
駐車場にある桃太郎像。
吉備の中山登山口から磐座へ
登山口側の鬼を祀る温羅神社をお参りしてから、磐座がある吉備の中山を目指しました。
藤原成親供養塔。
平安時代末期、鹿ヶ谷事件で平清盛に捕えられ、有木の別所で非業の死を遂げた大納言藤原成親の供養塔と伝えられています。
山に入ると不思議なことに時折雨が。
道中は、蚊との戦いでもありました。ちょっとでも立ち止まると刺されます。
磐座まであと少し。
ようやく磐座に着きました。
毎年5月第2日曜日には、ここで磐座祭が斎行されます。
山頂には8個の穴の開いた祠、八大龍王があります。
法華経の座に列した護法の龍神で、雲を操り雨を降らせる力を備えた神様で農耕社会では最も大切にされた神様であります。
山頂からの眺望。
蚊がいなければゆっくり過ごせたのですが…。
この後は、吉備の中山から吉備津神社を目指しました。
吉備津神社の紹介は、また後ほど。
ご覧いただき、ありがとうございました。
吉備津彦神社へのアクセス
春日山神社と上杉謙信公祭
2018.8.26上杉謙信公祭
今年で93回目を数える上杉謙信公祭を見物するため新潟県上越市に行ってました。
朝から強い陽射し。ホテルから春日山神社まで歩いて50分ほどかかりました。
暑いうえに、春日山城址の入口からの急な坂道がけっこうきつかったです。
もう、全身汗でびしょびしょ。
ようやく謙信公の銅像に辿り着きました。
銅像から奥へ進むと春日山城の本丸跡、右へ行くと春日山神社です。
まずは、春日山神社をお参り。
銅像前にいた観光ボランティアの方とお話ししましたら、今日は涼しい方だとおっしゃっていました。3日前は気温40℃を記録しましたからね。
いや、今日じゃなくて良かった。
お祭り期間中は、春日山城跡の案内を無料でしていますので、ぜひご利用してみて下さい。
春日山神社の御祭神は上杉謙信公。明治34年(1901年)山県県米沢市の上杉神社から分霊されました。
境内は樹木に囲まれていて涼しい。
10時になると、地元の一義会の皆さんによる謙信公の戦勝祈願の儀式「武禘式」と春日・泉翔舞さんの演舞が披露されました。
終了後、春日山を登りました。
山頂の本丸跡。
本丸跡からは、頸城平野や日本海が一望できます。
瓶ビールと「謙信そば」。
ねぎと一緒に添えられていた「かんずり」という香辛料にハマってしまいました。
そばに付けて食べると美味しい。
次に、謙信公が幼少の頃に修行したという林泉寺を訪れました。
本堂では、遠くからですが謙信公の木像を拝見できました。
敷地内にある、謙信公のお墓と川中島戦死者の供養塔をお参り。
14時30分。謙信流陣太鼓が披露され、次いで一義会の皆さんによる出陣報告が本堂前にて行なわれました。
直射日光が当たって暑そう。
出陣報告が終わり、記念撮影のサービス。
上杉謙信公祭のメイン「川中島合戦の再現」がスタート!
お祭りのメインである「川中島合戦の再現」の会場である春日山城史跡広場へ。
有料席のチケットを事前に申し込んでいたので、最前列で見ることができました。
しかも、好きな上杉軍側です。やったね!
当日、特製の手ぬぐいと義の塩というお土産が用意されていました。
午後6時、お祭りのメインである川中島合戦の再現が始まりました。
オープニングは、和太鼓の演奏から。力強い和太鼓の音が鳴り響く。
演奏が終わると、NHK大河ドラマ「風林火山」のテーマにのって武田軍が入場してきました。
総大将・武田信玄を中心に布陣し、上杉軍を待ち構えます。
参加者が少なかったのでしょうか、ちょっと寂しいですね。
続いて、上杉軍が入場。
上杉軍は人数が多い。
日没。
篝火と松明の明かりで良い雰囲気。
さて、まずは武田軍の啄木鳥戦法を見破った上杉軍が攻撃を仕掛けます。
火矢で開戦の合図。
続いて、米沢藩古式砲術保存会による火縄銃。
初めて見ると、その音の大きさにびっくりします。
上杉軍は、車懸りの陣で武田軍に猛攻。危うし武田軍!
軍師山本勘助や武田信繁が討死し劣勢になっていた武田軍でしたが、別働隊の馬場・高坂隊が戦場に駆けつけ、ピンチを救われました。
戦場は敵味方入り混じって混戦状態。
くつろいでいる篝火当番のおじさん達とのギャップが良い。
両軍総力をあげて戦っています。
合戦の再現は約2時間30分くらいでした。
近くで見れたのでたいへん迫力があって見に来た甲斐がありました。
暑かったけど、新潟の夏楽しめました。
上越市の皆さん、ありがとうございました。
春日山神社へのアクセス