伯耆国一の宮 倭文神社
全国一の宮巡り 鳥取県東伯郡湯梨浜町倭文神社
2020年1月28日。
鳥取県一の宮巡り2日目は、倭文神社(しとりじんじゃ)をお参りしました。
最寄り駅は、東郷温泉の玄関口である「松崎駅」です。
バスがないので徒歩で向かいました。
駅前の大通りに面した場所に建つ「湯の華慈母観音」。
温泉になっているようで湯気が上がっている。温泉地ならではですね。
東郷池沿いの歩道から東郷湖羽合臨海公園内を通ります。
あいにくの雨でしたが、景色が良いので苦になりません。
倭文神社の看板が見えてきました。
のどかな集落に出ました。あとはこの道沿いを進むだけ。
途中にある安産岩。
傍には梨の無人販売所が。
やみつきになる味という「パスクラサン」が気になる。リュックサックをもってきていたら購入したのだけれどなぁ。
神社に近づくにつれ、神聖な雰囲気になってきた。
やっと到着しました~。
精巧な彫刻が施されている随身門。
随身門をくぐって境内へ。
構え獅子型の狛犬さんにご挨拶して拝殿へ。
安産の神として崇敬されている倭文神社は、大国主神の娘下照姫命(したてるひめのみこと)が出雲から海路で来て現社地に住居を定め、当地で一生を終えるまで安産の指導、農業開発、医薬の普及に尽くしたといわれます。
当時のこの地方の主産業が倭文(しずおり)の織物であったので、倭文部(しとりべ)の祖神である建葉槌命に、この地に関係の深い下照姫命を加え、他大国主命の御子神や関係の深い五柱の神を祭神としてお祀りしています。
安産信仰は古くからあり、県外にもご神徳が及んでいるそうです。
帰りに、参道途中にある下照姫命のお墓といわれる経塚へ。
けっこうな急坂。
発掘されたものは東京国立博物館に納められているそうです。
雨で地面がぬかるんでいるので、滑って転ばないように安全を祈願しました。
今回は一の宮めぐりで訪れましたが、機会があれば東郷温泉やはわい温泉でゆっくりしたいですね。
ご覧いただき、ありがとうございました。
倭文神社へのアクセス
因幡国一の宮 宇倍神社
全国一の宮巡り 鳥取県鳥取市宇倍神社
2020年1月27日から29日、2泊3日で鳥取県の一の宮めぐりをしました。
連絡バスに乗って鳥取駅へ移動。
鳥取駅バスターミナル3番乗り場から山崎橋方面行きのバスに乗り、宮ノ下バス停で下車します。
バス停からは歩いて直ぐでした。
狛犬さんにご挨拶して、二ノ鳥居をくぐります。
社殿への参道は石段になっています。
ここを四月の例祭では約2トンの大神輿が駆け巡るそうです。一度見てみたい。
石段には毎年メッセージを書いた幕が掲げられています。
今年は、『輝』!
手水舎に注ぐ水は七宝水と呼ばれる霊水。
稲葉山の中腹から湧きでる清水を引いているそうで、とてもきれいな水です。
宇倍神社は、大化4年(648年)百人一首にも歌われた稲葉山の西南麓に、武内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)をご祭神として創建されました。
武内宿禰命は、我が国で最初に総理大臣の祖ともいえる「大臣(おおおみ)」の称を賜ったとされ、景行天皇以下5人の天皇に240年間にわたって仕えたと云われています。
現社殿は明治31年に完成したもので、翌年に武内宿禰命の肖像画と社殿が載った五円紙幣が発行されたことから金運のパワースポットとして知られるようになりました。
参拝後、社殿の背後にある武内宿禰命の終焉地とされている亀金岡を登りました。
岡の上には「双履石」と呼ばれる霊石が祀られています。
こちらが双履石。
ここから本殿を拝見することができます。
最後に社殿左手にある国府神社へ。
当初は宮下神社という社名でしたが、付近の6社を合祀し現社名に改称しました。
小さな麒麟獅子がいましたよ。
参集殿には金運がアップするという「御縁御守」があります。
とても人気のあるお守りだそうで、思わず購入してしまいました。
財布などに入れておくとお金が集まってくるとか。
その後も大正・昭和と数回、一円と五円札の図柄になるなどとてもお金にご縁があるようで、商売繁盛の神様として全国から参拝にくる人が絶えないそうです。
バスの本数が1時間に1本という時間帯があるので、時刻表をチェックしてお参りしてください。
ご覧いただき、ありがとうございました。
宇倍神社へのアクセス
JR鳥取駅より日の丸バス中河原線「宮ノ下」下車すぐ
忍者がひそむ金沢ひがし茶屋街の宇多須神社を訪れる
2019年12月28日、帰りの新幹線の時間まで「ひがし茶屋街」を散策しながら宇多須神社へ。
宇多須神社は、明治6年に尾山神社が建立されるまで藩祖前田利家公を祀る卯辰八幡宮として歴代藩主から篤く崇敬されてきました。現社名になったのは明治34年(1901年)で、卯辰山の古名が宇多須山ということから。
創建は養老2年(718年)、浅野川の川辺の小丘から掘り出された古鏡の裏面に卯と辰の紋様があったので卯辰神として祀ったのが始まりとされ、当初は多門天社と称していたようです。
狛犬さんにご挨拶。
境内は新年を迎える装い。もう年の瀬なんだな~。
手水舎も。
社殿は立派で風格が感じられます。
境内には忍者がいますので探してみてください。
見れたらラッキーかも?猫の忍者。
最後は、境内奥にある五代藩主綱紀公の病を治した「利常公酒湯の井戸」へ。
お参りした日はひっそりとしていましたが、2月3日の節分祭では、ひがし茶屋街の芸妓さんたちの踊りの奉納や豆まき、樽酒が振る舞われるなど住民や観光客で賑わうそうです。機会があれば、一度見てみたいですね。
ご覧いただき、ありがとうございました。
宇多須神社へのアクセス
金沢周遊バスまたは北鉄バス「橋場町」バス停から徒歩約8分
前田利家を祀る金沢市尾山神社を訪ねる
2019年12月27日、白山比咩神社と金劔宮を参拝した後、金沢に戻り、尾山神社をお参りしました。
一度見たかった西洋風の神門。当時としては画期的。また、最上層に設置された避雷針は日本最古のものでもあります。
尾山神社の御祭神は、織田信長の家来で槍の又左の異名で呼ばれ、後に豊臣政権時五大老のひとりとして徳川家康と肩を並べた戦国武将、前田利家公です。
慶長四年(1599年)に利家公が死去すると、前田家二代当主利長公はその霊を祀ろうとしましたが、当時の前田家は、徳川幕府の外様大名という厳しい立場。しかも、徳川家康のライバルであった豊臣秀吉の子、秀頼の後見役であった利家を祀る神社を建立することなどできようはずがありません。
そこで、利長公は守護神としていた物部八幡宮及び榊葉神明宮を越中国から卯辰山麓に遷座して社殿を建て、利家公の霊を合祀しました。
明治6年(1873年)に旧加賀藩士らによって旧金谷御殿跡地である現在地に社殿が建立され、社名も尾山神社に改名し、明治35年(1902年)に別格官幣社に列せられました。その後、平成10年(1998年)に正室おまつの方が合祀されました。
三間社流造の本殿。玉垣は他では見られないこれもまた西洋風のレンガ造り。
参拝後は境内を散策してみました。
勇ましい赤母衣衆時代の利家公像。
その隣にはおまつの方の像があります。
利家公が被っていたとされる金の鯰尾の兜のレプリカ。
金谷神社に行く途中にあるハスのオブジェ。
そのハスにいる金色のカエルに目が惹かれました。調べてみると、鍛鉄工芸家の西田光男氏とその工房「PAGE ONE」のスタッフが制作した作品で、この作品を気に入った石川県の会社社長が買い取って奉納したとのこと。
最後に摂社金谷神社へ。
こちらには、利長公以下歴代藩主と正室がお祀りされています。
帰りは、金沢城の二の丸唐門を移築した東神門から。
御朱印ですが、年末ということもあり書置きのみの対応でした。御朱印帳に記入していただきたい方は、忙しい時期は注意した方が良さそうです。
周辺には、金沢城公園や兼六園などの観光スポットや近江町市場などグルメスポット満載です。金沢に訪れた際は、加賀百万石の礎を築いた前田利家公を祀る尾山神社をお参りしてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
尾山神社へのアクセス
金運アップのパワースポット白山市の金劔宮を訪ねる
2019年12月27日、白山比咩神社のお参りを終えて鶴来駅に向かう途中、金劔宮(きんけんぐう)に立ち寄りました。
鳥居をくぐると市の指定無形民俗文化財の「鶴来節」なる句碑が。
調べてみると、昭和2年秋に鶴来遊郭温習で初めて世に紹介されたもので、鶴来の山紫水明、風光明媚さを唄にしようとの地元の求めに応じて、金沢市出身の川柳歌でジャーナリストであった坂井弥三久が作詞し、遊郭の西川養技師匠を中心とした女将たちによって作曲や振付が完成されたそうです。
句碑を先に進んで行くと「不動滝」と呼ばれる滝がありました。
女坂と呼ばれている坂道を登っていく。
階段の中ほどに何やら怪しげな通路が。
怪しげな通路を無視して、このまま階段を登っていくと県道103号線に出てしまった。
道路を隔てた目の前に金劔宮がある。
信号機や横断歩道が無いので、車に注意しながら横断して境内へ。
凛々しい狛犬さんにご挨拶して拝殿へ。
金劔宮は白山七社のひとつで、白山比咩神社・三宮・岩本とともに本宮四社といわれていました。主祭神は天津彦火瓊瓊杵尊。
社伝によれば、崇神天皇三年(紀元前95年)と云われ、古くは劔宮、劔神社と称され、鶴来の地名の由来となったようです。神仏習合時代には多くの伽藍を有するなど隆盛を極め、倶利伽羅峠の戦いで平家を打ち破った源義仲が鞍置馬20頭と横江庄を寄進し、その後も源義経の参拝、足利氏・富樫氏・前田氏ら有力武将から篤く尊崇されました。
たいへん歴史ある古社なのですが、金運アップのパワースポットとして有名だそうで、恥ずかしながら、おっさんは全く知りませんでした。
中でも境内にある乙剱社は最大の金運パワースポット!
小さな社なのですが、独特の雰囲気がある。
最後に境内にある不思議な石へ。
天忍石(牛石)と呼ばれるこの石は神の依り代で、その昔神霊が降臨したと伝わる。別名の牛石は、形が子牛に似ていることから。
義経腰掛石。
奥州に落ちのびる源義経が参拝した折にこの石に腰掛けて、眼下に広がる平野や手取川を眺めたと伝えられています。
帰りは社務所の向かいにある通路から。
連絡通路だったようで、車が行き交う道路を横断することなく先ほどの女坂に出られました。こっちの方が安全ですね。
境内はとても静かで落ち着きます。駅からも徒歩圏内ですので、時間があればお参りしてみてはいかがでしょうか。
さらに金運のご利益を授かりたい方は、最強の金運アイテムとされる「三種の神器」なるお守りをゲットしてみては。
ご覧いただき、ありがとうございました。
金劔宮へのアクセス
加賀国一の宮 白山比咩神社
2019年12月27日、石川県白山市三宮町に鎮座する白山比咩(しらやまひめ)神社を訪れました。
霊峰白山を神体山として仰ぎ、全国に三千余といわれる白山神社の総本社です。
御祭神は白山比咩大神(しらやまひめのおおかみ)。「日本書紀」で黄泉の国との境界で言い争っていた伊弉諾尊と伊弉冉命を仲裁した菊理媛神(くくりひめ)と同神格と云われています。
歴史はとても古く、今から二千百年以上前、崇神天皇の御代に現在地の北にある舟岡山に祀られたのが創建と伝えられています。白山を開山した泰澄大師によって白山信仰が全国に広まると、中世には修験道の聖地として隆盛を極めました。
文明十二年(1480年)に大火によって社殿が焼失したため現在地に遷座。その後、戦国の混乱や一向一揆の台頭によって衰退したものの、前田利家によって復興されました。
鶴来駅に着くと雨は止んでいましたが、ぶ厚い雲が空を覆っていて、いつ降ってきてもおかしくない状況。
路線バスに乗り、白山比咩神社を目指す。
一の宮バス停で下車し、表参道へ。運賃は160円でした。
鳥居に着くや雨が降ってきた。その後、降ったり止んだりの繰り返し。
一礼して参道へ。
杉並木の参道は自然に囲まれていて大変心地よい。
中ほどにある琵琶滝。
手水舎手前にある御神木の老杉。樹齢八百年余と云われています。
神門をくぐる前に荒御前(あらみさき)神社を参拝。
神功皇后の朝鮮出兵の際に守護神となった荒御前大神ほか三柱の神様を祀っています。
たくさんの酒樽が奉納されている神門を通って、社殿へ。
いや~、神々しい雰囲気です。
勇ましい狛犬さんにご挨拶して参拝しました。
奥宮に行けませんでしたので遥拝所で拝みました。白山三山と呼ばれる御前峰、大汝峰、別山の3つの山に見立てた大岩が祀られています。
いつかは奥宮を登拝してみたいですね。
遥拝所近くにある苔がびっしりと生えた古木。
北参道の鳥居には門松が設置され、アルバイトと思われる学生たちが拝殿に机を運んでいる。境内は徐々に新年を迎える装いになってきました。
帰りも表参道から。
参拝者を案内していた観光タクシーの運転手さんが、あんこがぎっしり詰まって美味しいと「おもてや」さんの大判焼きをおすすめしていたので、買ってみました。あんこがいっぱい入っていて1個150円は安い。ほどよい甘さで美味しかったです。ご馳走様でした。
バスの本数が少なく、午前は2便しか運行していないので注意が必要です。午後の便まで3時間待つため、強風と雨の中を歩いて鶴来駅に向かうことに。
徒歩だと40分くらいかかりますので、天気が悪い日はタクシーを利用した方が良さそうです。
ご覧いただき、ありがとうございました。
白山比咩神社へのアクセス
能登国一の宮 氣多大社
全国一の宮巡り 石川県羽咋市氣多大社
12月1日から31日の一カ月間、神域として一般の立ち入りが禁じられてきた氣多大社の社叢「入らずの森」が、天皇陛下の即位を記念して特別に一般公開されたので、これは行かねばならん!と思い、12月26日に行ってきました。
大宮駅から北陸新幹線で金沢駅へ行き、特急能登かがり火で羽咋駅へ。そして、北鉄バスで一の宮バス停へ。ここから歩いて10分ほどで到着。
境内は初詣の準備中でした。大晦日や元日は多くの人が訪れるのでしょうね。
力強い「氣」の文字。
拝殿と本殿も大変歴史のある建物で、江戸時代に造営されました。こちらも国の重要文化財に指定されています。
特別参拝は、こちらのプレハブ小屋で受付けをしていました。1時間ごとに行なわれていて、ちょうど10時の部が始まっていました。
特に急いでいなかったので11時の部から。
申込用紙に住所と名前を記入して三千円を支払うと、お守りやカレンダーなどの記念品をいただきました。それと、青色のたすきを渡されました。特別参拝には、たすきを持っていないと中に入れません。
時間が来るまで境内を散策することに。
本殿左手に建つ若宮神社へ。
永禄12年(1569年)に能登守護畠山義綱によって再建されました。
本殿の右手に建つ白山神社。
太玉神社へ。
菅原神社。
11時になり、拝殿内に案内されました。 人数は30人ほど。
拝殿内及び入らずの森は撮影禁止でした。
全員に玉串が渡されると、宮司がお祓いと祝詞を奏上。そして、特別参拝者全員の名前が読みあげられ、最後に「入らずの森」を一般公開した理由と、毎年12月16日に行なわれている神事「鵜祭」が、今年は鵜を捕らえられなかったため中止になったことを話されました。
儀式が終わると、入らずの森の神門に移動。
靴底に着いた土を落として森の入口へ。
4人ずつ数メートル先の注連縄を張った遥拝所に案内され、素戔嗚尊と櫛稲田姫が鎮座するという奥宮に向かって参拝しました。
う~ん、森の入口なので神秘性があまり感じられなかった(自分だけかな?)…。
でも、三千円が森の保全に少しでも役に立てば!
帰りは随身門を通ってバス停へ。
入らずの森にちょっとだけ入れたのは、貴重な体験でした。
ご覧いただき、ありがとうございました。
氣多大社へのアクセス