陸奥国一の宮 馬場都々古別神社
幕末の会津藩家老西郷頼母が宮司を務めた都々古別神社を訪ねる
12月10日(日)、磐城棚倉駅から歩いて15分程にある都々古別神社を訪れました。こちらは、馬場という地名にあることから、「馬場都都古和氣神社」と呼ばれております。
9時22分、宿泊した矢祭町の東館駅から水郡線に乗り、磐城棚倉駅には9時46分に着きました。
1本前の電車が7時台。2時間も間隔があるとは…。本数が本当に少ないよ。
駅を出て、道路を真っ直ぐ進んで行きます。
進んでゆくと、杉に囲まれた鬱蒼とした杜が見えてきました。この場所だけ空気というか気配が違う。
裏参道。表参道へは、この道をぐるっと周って行きます。
ここを下って国道118号に出たら、左へ進むと「すき家」があります。
すき家近くの信号機を左へ進みます。あとは、この道を進むだけ。
はい、案内板がありました。
こちらが表参道です。
階段を登ったところに鳥居があります。
戊辰戦争で、白河口総督として新政府軍と戦った会津藩家老の西郷頼母が約三年間宮司を務めていたそうです。
手水舎。
なかなか雰囲気のある神門。
正面を守る隋神像。
裏側には、鉾がありました。日本武尊が東征の際、白河市表郷三森にある都都古山(建鉾山)に建てたとされる鉾をイメージしたものでしょうか。
こちらが拝殿。向拝一間に唐破風の建築様式。神門もそうでしたが、やたらと張り紙が貼られているのは、如何なものか…。
拝殿にある額は、白河藩主で幕府老中も務めた松平定信公の筆によるもの。
本殿。
本殿の裏には、磐座と東照宮の遥拝所が。
ここから先は入れませんでした。
さて、境内をひととおり散策し、御朱印をいただこうと社務所へ。人の気配がまったくしないので不安。
やっぱり留守でした。案内にしたがって宮司宅へ。
宮司宅へ行くと、大学生から卒論の取材を受けていて忙しいらしく、10分待つことに。
バスの出発時間までに、何とか御朱印をいただくことができました。帰りは、裏参道から駅へ。
新白河駅で新幹線を待つ間、駅西口近くにある「かづ枝食堂」さんで。
名物のからしタンメン。ピリ辛でクセになります。
時間に余裕があれば、石川町の都々古別神社をお参りしたかったのですが、電車の本数が少なく断念。
今年の一の宮めぐりは、これで終了です。ありがとうございました。
馬場都々古別神社へのアクセス