越中国一の宮 髙瀨神社
全国一の宮巡り 富山県南砺市髙瀨神社を参拝
11月21日から23日、2泊3日で富山県の一の宮巡りをしました。
※雄山神社は日程が合わなかったためまたの機会に参拝したいと思います。
切符は城端線のホームに券売機がありますので、こちらで購入してください。
最寄りの福野駅。
バスの本数が少なく、時間が合わなかったので徒歩で向かうことに。
歩くとけっこうな距離でした。しかも、グーグルマップの示したルートの終着点は本殿の裏側辺りで塀や木々に囲まれて入れませんでした。鳥居をクリックしてルートを検索すればよかったかな。
道を探している途中で大鳥居を見つけたので、まずはこちらへ。
ゴールドウィンの創業者が、昭和天皇の在位60年をお祝いして寄進したものだそうです。中には奉写された大祓詞が収められており、鳥居をくぐる人々の罪や穢れを祓い清めているとのこと。
なんだかありがたいですね~。
ようやく髙瀨神社に着きました。
昭和45年に伊勢神宮の外宮から移築された手水舎。
手水舎の水鉢は、新潟県の只見川上流から運ばれた自然石でつくられたもの。
デザインがかっこよかったです。
社殿に行く前に狛犬さんに御挨拶を。
片方の狛犬さんはコケが良いアクセントになっている。
越中一の宮髙瀨神社の御祭神と由緒
髙瀨神社は、大国主命を主祭神として天活玉命と五十猛命の三柱の神様をお祀りしています。
創建年代は不詳ですが、景行天皇の時代と伝えられています。
『延喜式』には名神大社に列せられ、越中国一の宮として僧坊三百を有するほど隆盛を誇りましたが、戦国時代になると一向一揆により大きな被害を受け荒廃。
江戸時代になって加賀藩前田家の尊崇により隆盛を取り戻すことができました。
参拝を済ませ、付近を散策してみました。
拝殿には、主祭神である大国主命に因んで因幡の白うさぎをモチーフとした「なでうさぎ」があります。自分の癒してもらいたい部位と同じ所をお祈りしながら撫でると、ご加護をいただけるそうです。
たくさんの人に撫でられて、表面はツルツルですね。
社殿の彫刻の素晴らしさに見入ってしまった。
南砺市は井波彫刻で有名だそうで、社殿の彫刻が素晴らしかったです。
こちらは、拝殿の鈴緒にある木彫りのうさぎ。
拝殿の欄間には干支の彫刻がほどこされています。
彫刻を見て、写真を撮ったりして拝殿に20分くらい居てしまいました。
帰りは、急げば13時1分の高岡行きの電車に間に合いそうでしたので、途中、頑張って走ってギリギリで乗車することができました(汗)
ご覧いただき、ありがとうございました。
髙瀨神社へのアクセス
JR城端線「福野駅」から徒歩45分
加越能バス「髙瀨神社前」より徒歩10分
上州電鉄終点の下仁田駅を降りて諏訪神社をお参り
群馬県甘楽郡下仁田町の諏訪神社をお参り
一之宮貫前神社をお参りした後は、下仁田かつ丼を食べたくて終点下仁田駅に来てしまいました。
群馬県のマスコットキャラぐんまちゃんのラッピング電車が停車していたので、記念にパシャリ!
終着駅の下仁田駅。このレトロ感がたまりません。
食後、付近をぶらぶら歩いていたら神社を発見!
諏訪神社なんですね。
小さな神社だけど精巧な彫刻に魅入ってしまいました!
どこにでもありそうな村社だと思いきや、彫刻の素晴らしさに圧倒されました。
本殿のこの精巧さはすごい!
境内にある近戸神社の彫刻も素晴らしかったです。
案内板によると本殿建築の棟梁矢崎善司の師匠は、諏訪大社下社春宮弊拝殿を建築した柴宮長左衛門という大隈流の名匠とのこと。
帰りはラッピング電車で。
ご覧いただき、ありがとうございました。
諏訪神社へのアクセス
上州電鉄「下仁田駅」より徒歩5分
上野国一の宮 一之宮貫前神社
全国一の宮めぐりで一之宮貫前神社を参拝
11月9日、群馬県富岡市の一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)をお参りしました。
ちなみに、上州電鉄は電子マネーが使えませんので券売機か窓口で切符を購入しなくてはなりません。上州一ノ宮駅までは片道900円でした。
おっさんが着いたときは、駅員がいない時間帯でした。先頭車両の最前部ドアで運転士さんに切符を渡して電車を降りました。
駅から歩いて約15分程で参道の入口に到着。
全国にも珍しい “登って、下る” 参道
貫前神社の代名詞ともいえる“登って、下る”参道。
まずは表参道の石段を登ります。
鳥居をくぐって、次は下り参道へ向かいました。
下り参道前にある総門。
総門をくぐると、下り参道!!!
これですよね!いや、素晴らしいーーー!
下から見るとこんな感じです。
一之宮貫前神社の由緒
【祭 神】
経津主神(ふつぬしのかみ)武甕槌神と共に神話の国譲りで活躍。物部氏の氏神。
姫大神(ひめおおかみ) 綾女庄の神で養蚕機織りの守護神。
【由 緒】
社伝によれば、物部姓磯部氏が氏神である経津主神を蓬が丘綾女谷に社を定めてお祀りしたのが始まりで、安閑天皇元年(531年)の3月15日と云われている。醍醐天皇の頃の『延喜式』には名神大社に列せられ、上野国一の宮として朝廷や民間から崇敬を集めました。
本殿はじめ拝殿、楼門、東西回廊は、三代将軍徳川家光の命により寛永十二年(1635年)に造営されたもの。本殿は、単層二階建ての「貫前造」という独特の建築様式と「雷神小窓」と称される小窓があります。
御朱印をいただいて、境内を散策しました。
本殿の奥にある摂社の抜鉾若御子神社。
樹齢千二百年と伝わる藤太杉。藤原秀郷が平将門征伐の折に参詣したときに、歳の数の三十六本の杉苗を奉納したうちの一本だそうです。
秀郷は、俵藤太(たわらのとうた)という異名を持ち、ムカデ退治の物語の主人公であります。
下り参道の途中にある末社の月読神社。
境内には銀杏やスダジイなどのりっぱな木があります。
中央の社が日枝神社。現社殿は、寛永十二年以前の旧本社の本殿を移築したと伝えられています。
雨が降ったり止んだりと落ち着かない天気にもかかわらず、七五三詣の参拝者で境内は賑わっていました。
全国的にも珍しい登って下る参道を有する一之宮貫前神社、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
一之宮貫前神社神社へのアクセス
上州電鉄「上州一ノ宮駅」より徒歩15分
下野国一の宮 宇都宮二荒山神社
餃子のまち宇都宮に鎮座する二荒山神社を参拝
日光で一泊し、2日目は宇都宮二荒山神社へ。
日光の二荒山(ふたらさん)と区別するために、宇都宮の方は「ふたあらやま」と呼ばれています。
最寄りの宇都宮駅はJRと東武の二つの駅がありますが、東武宇都宮駅が一番近いので東武線で向かいました。
東武宇都宮駅からアーケード屋根のオリオン商店街を通って、10分程で目的の二荒山神社に到着しました。
パルコなどの大きなビルが立ち並ぶ市街地に、ドでかい朱い鳥居が目立つ。
両部式の明神鳥居は、高さ6.9m程。近くで見るとけっこう迫力があります。
参道は階段となっています。
階段を登りきったところからの眺望。
歴史を感じさせる神門。
境内は七五三詣の参拝者がちらほら。子供たちが元気に走り回っていました。
お清めしようと手水舎に行きましたら、鳩が一心不乱に水飲み中でした。
すみません、お邪魔します~。
二荒山神社の御祭神は、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)。第十代崇神天皇の御子で、四道将軍として東国平定に尽力しました。
社記によれば、仁徳天皇の御代に国造として赴任した奈良別王が祖先である豊城入彦命を祀ったのが始まりとされます。「延喜式」には名神大社として記載され、平将門を討った藤原秀郷をはじめ源頼朝、徳川家康も戦勝祈願に訪れるほど尊崇されました。
現社殿は、戊辰戦争で焼失した後、明治10年に再建されたもの。
拝殿前の狛犬さんたち。
御朱印をいただいて、境内を散策してみました。
本殿の横にある女体宮。安産の神様として知られているそうです。
本殿左側にある末社、初辰稲荷神社と明神の井戸。
七五三詣の記念撮影の人気スポットのようです。
じっとせず、ふざけたポーズをとるお子さんに怒るお母さん。うん、良い光景だ。
稲荷神社の右側にある井戸は古くから名水として知られ、明治天皇行幸の折、この井戸水でお茶を立て、賞賛のお言葉をいただいたそうです。
本殿の右側、須賀神社・市神社。
境内の中でもここだけ空気というか雰囲気がちがう。
面白い表情をした狛犬さんがいました。
参道の階段中腹の両側にも末社がありました。
左側。手前から剣宮、十二社、菅原神社。
参拝を終え、お昼は宇都宮餃子を食べようと、MEGAドン・キホーテの地下1階にあるフードコート「来らっせ本店」へ。
こちらでは、市内の名店の餃子をいろいろ味わうことができます。
おっさんは、日替わりと常設店舗のコーナーに行って餃子と地ビールを堪能。
帰りはJR宇都宮駅から新幹線で。
都心から近いので日帰りでも十分にお参りできます。参拝と合わせて名物の宇都宮餃子をぜひ味わってみてください。
ご覧いただき、ありがとうございました。
宇都宮二荒山神社へのアクセス
下野国一の宮 日光二荒山神社
世界文化遺産『日光の社寺』の一社、二荒山神社を参拝
10月22日(月)から23日(火)、1泊2日で栃木県の日光と宇都宮の二荒山神社の一の宮めぐりをしました。
初日は日光二荒山神社へ。
日光は中学の修学旅行以来、33年ぶり。東照宮の記憶しかありません。
特急リバティに乗って日光へ
せっかくなので浅草駅から特急列車に乗って向かうことに。
6時30分発の特急列車は、1号車から3号車が会津田島行き、4号車から6号車が東武日光行きの6両編成。途中の下今市駅で車両が別れます。
全席指定なので満席の場合は乗車することができませんので注意が必要です。
なので、週末や観光シーズンは事前にネットで席を予約することをおすすめします。
ちなみに、この日は平日にもかかわらず満席でした。
終点東武日光駅には8時22分に到着しました。
バス停には行列ができている。
歩いても30分程度なので、おっさんはてくてく歩いて行きます。
日光の表玄関、二荒山神橋を歩いてみた。
日光に着くと、朱塗りが映える「神橋」に目が引かれます。二荒山神社の建造物のひとつで、世界文化遺産となっています。
聖地日光を開山した勝道上人の伝説にまつわる橋で、「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」とも呼ばれています。その昔、勝道上人とその一行が男体山を登頂するため日光に訪れましたが、大谷川の激流に行く手を阻まれ困り果てていました。上人が祈ると、深沙大王と名乗る神人が現れ、手から赤と青の二匹の蛇を放つと蛇は橋となりました。その蛇の背中に山菅が生えたことで滑らずに無事に渡ることができたことから、こう呼ばれているそうです。
通行料300円を払って橋を渡ってみることに。
巫女の「神尾明里」さんにご挨拶。
橋の渡り口には、守護神である「橋姫神」様の祠があります。対岸には深沙大王を祀る深沙王堂があり、男女一対となって橋の守護神として信仰されています。
残念ながらこの先は行き止まり。
向う側に渡るには、入口に戻って日光橋を渡らなければなりません。
下野国一の宮 日光二荒山神社
深沙王堂をお参りして、表参道の長い坂を登っていきます。
東照宮五重塔の手前の参道を左に行くと神門側。奥の参道を左に行けば楼門側から入れます。
こちらは神門側。江戸幕府第三代将軍徳川家光公の霊廟、家光廟大猷院が側にあります。
日光二荒山神社は、天応二年(782年)日光を開山した勝道上人が男体山山頂に奥宮を創建したのが始まりとされます。
元和三年(1617年)、江戸幕府を開いた徳川家康を祀る東照宮が建立されると、幕府から篤く崇敬されるようになり、元和五年(1619年)には、二代将軍徳川秀忠によって本殿や拝殿が造営されました。
現社殿などは日光最古の建造物だそうです。
御祭神は、大巳貴命。
御朱印をいただき、境内を散策してみました。
神楽殿前にいる狛犬は、普段目にしている阿吽の型ではなく、どちらも開口している珍しい狛犬。
説明書きによれば、飛鳥時代に伝わった当初は、獅子の姿をしており左右どちらも口を開いていたそうです。
最後に、入場料200円を払って神苑へ。
苑内には「縁結びの笹」や「二荒霊泉美人の水」、「化け灯籠」などがあります。
別宮滝尾神社にお参りしてみた。
東照宮は激混みでしたので、滝尾神社と白糸の滝へ向かいました。
道中にある「空焔地蔵」。
「空焔」とは、三代将軍家光の小姓を務め老中に出世した阿部忠秋で、四代将軍家綱まで仕えました。
阿部家が忠秋のお墓を家光の霊廟の一角に造った際、勝道上人を男体山登頂に導いた地蔵尊が現れた場所であることを聞いて造立した石像です。
さすがにこの辺りは観光客がいませんでした。
自然を楽しみながらゆっくりと散策できます。
女峰山に向かう登山口に建つ行者堂の脇道を下っていくと案内標識がありますので、あとはその方向に進むだけ。
白糸の滝が見えましたー。いや、素晴らしい!
橋を渡り滝尾神社へ。
日光責めで有名な輪王寺の「強飯式(ごうはんしき)」発祥の地、別所跡。
影向石。神仏が仮の姿をしてこの世に現れることを影向(ようごう)と呼ぶそうで、昔、弘法大師がお祈りしたとき、女神が現れたと云われています。
そして、運試しの鳥居。額束の開いた穴に小石を三つ投げて穴を通った数で運を試したそうですが、誰もいなかったのでやってみました。
結果は…12回投げてようやく穴を通りましたが、地元の人に聞いた話によると三回投げてダメだったらお参りして不運をリセットして、また三回投げる。これが正式な作法とのこと。くれぐれも人がいないときに運試しをしてください。小石とはいえ、当ると危険ですので。
拝殿に続いて本殿をお参り。
御神木の「三本杉」。現在の杉は二代目だそうで、倒れた親木はそのままにしておくのが習わし。今も横たわっているそうですが、手前の倒木が初代なのだろうか。
奥に進んで行くと、霊泉「酒の泉」や子種石がありました。
こちらは子種石。
脇に流れる川は白糸の滝の上流のようで、さらに奥に進んで行くと滝がありました。
静寂な空気に包まれていて、とても居心地が良かったです。
日光参拝の折に、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
日光二荒山神社へのアクセス
陸中国一の宮 駒形神社
全国一の宮めぐり 岩手県奥州市駒形神社を参拝
大宮から東北新幹線で一ノ関へ。ここで東北本線に乗り換えて水沢駅へ移動しました。
一ノ関では、ピカチュウがお出迎えしてくれましたよ。
盛岡行きの電車は、祝日ということもありけっこうな混みよう。
24分ほどで水沢駅に到着しました。
神社は、駅から歩いて10分程の距離。
水沢公園の一画にあります。
まずは、狛犬さんにご挨拶を。
ちょうど頭にトンボが止まっていました。
鳥居をくぐり、手水舎へ。
よく見ると、水盤の底に亀のオブジェが。
門をくぐって境内へ。
お宮参りの参拝者がちらほら。
駒形神社は、雄略天皇の御代(456年)、第十代崇神天皇の末裔である上毛野胆沢公が駒ヶ岳山頂に駒形大神を勧請したのが始まりとされます。
御祭神は駒形大神という神様で、天照大御神・天之常立尊・国之狭槌尊・吾勝尊・置瀬尊・彦火火出見尊の六柱の神様を総称しています。
征夷大将軍坂上田村麻呂や源頼義・義家父子、平泉に栄華を築いた奥州藤原氏からも篤く崇敬されました。
七五三用なのか待合室にポケモンの神主が。和む~。
御朱印をいただいた後、境内を散策してみました。
本殿脇にある末社の山神社。大山祇神と木花開耶姫神をお祀りしています。
商売繁盛と安産の御利益があるそうです。
その後ろに奥宮遥拝所の碑が建っています。
別宮の鹽竈神社。
豪族阿部貞任を討伐した源頼義・義家父子が勧請したと云われ、第7代水沢城主留守村義によって現在地に遷されました。
明治4年になると、駒ヶ岳山頂の駒形神社本宮が国弊小社になったのに伴い、参拝するのに不便であることから仮遥拝所となり、明治7年正式な遥拝所となりました。そして明治34年、山頂から御神霊が奉遷され、鹽竈神社は春日社に合祀されたそうです。
境内や手水舎近くには、ひょうたん御守りや絵馬が奉納されていました。
最後に、境内には福猫の現れる木があります。
よ~く見てみないと分かりません。
ゆっくり探してみてください。
水沢公園は県内有数の桜の名所だそうですので、お花見がてらお参りしてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
駒形神社へのアクセス
備前国一の宮 石上布都魂神社
岡山の神社旅2日目、石上布都魂神社を訪ねる
本日、目指す神社は、石上布都魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)です。
『延喜式神名帳』に記載された3,132座のうちのひとつで、備前国では128社の中で正二位に列せられた古社。
御祭神は素戔嗚尊。
その素戔嗚尊が、八岐大蛇を斬ったという天十握剣(あめのとつかのつるぎ)を最初に祀った神社であり、剣は崇神天皇の時代に大和国(奈良県)石上神宮に遷されました。
宮司さん不在の時がありますので、御朱印を直接いただきたい方は、事前に電話で確認した方が良いです。
この日は、出掛ける用事があるそうで、午後2時までは不在との返答でした。
石上布都魂神社まで歩いて行ってみた
ここからの移動手段は、徒歩かタクシーしかありません。
まぁ、タクシーを使うのが一番楽なのですけれど、今日は石上布都魂神社だけの予定ですので、天気も良いことですし、のんびり行きましょうか。
と、いうことで歩いて行ってみました。
宇甘川を架かる橋を渡って岡山街道へ。
金川大橋の手前に架かる歩道橋を利用しました。こっちは、自転車や歩行者専用なんですかね。
こちらが金川大橋。
橋からの眺め。
グーグルマップに従い、県道255号をひたすら歩く。
五城小学校付近。
看板発見。あと5キロか…。
新庄川沿い。
平川西公民館付近。
まだ、あと2キロもある。
この辺りからは歩道がありませんので、車に十分注意してくださいね。
石上布都魂神社に到着!
ようやく着いた。いや、遠かった~。
ここから坂道を登っていきます。
表参道の入口。また、坂道を登ります。
階段を登ると手水舎がありました。
きちんと管理されているようですね、水がとってもきれい。
狛犬さんにご挨拶して、境内へ。
拝殿。
平日で、しかも辺鄙な場所にあるのに参拝に訪れる人がちらほらといました。
皆さん、御朱印や御守りなどをいただきたかったようで、午後2時までは不在であることを教えると残念がっていました。
さて、時刻は、まだ午前11時30分。
境内は意外と小さく、本宮や磐座がある山頂も片道15分で行けてしまう。
宮司さんが戻る午後2時までどうやって過ごそうか…。
磐座と本宮のある山頂を登ってみた
休憩所でパンを食べた後、暇なので山頂へ向かうことに。
一応、杖があります。
おっさんは、まだ使わなくても大丈夫♪
意志の坂道からスタートします。
途中、ポイントごとに看板がありますので楽しみながら登りましょう。
途中の眺望です。
あともう少し。
辛い方は唱えながら登ってみてください。
本宮の鳥居に着きました。
鳥居をくぐり、最後はうねった石段を登ります。
登りきったところから、見下ろしてみました。
こちらが本宮です。
やっぱり雰囲気というか空気がちがいますね。
本宮の前にはベンチがあり、ここで休憩することもできます。
背後や周辺には磐座があり、禁足地となっていました。
静かで、心が落ち着きます。
午後1時50分。神社に戻ると、午前中、宮司さんが戻る時間を教えてあげた倉敷市から来られたというご夫婦と遭遇しました。
先程、旦那さんが電話をしたら、社務所に来る予定はなく、御朱印をいただきたいのであれば自宅に来てくださいとのこと。
自宅かーい!おっさん、てっきり社務所に来るものだと思っていました。
宮司宅までは、ここから1.5キロもあるのに…。
ここまで歩いてきたことや埼玉県から来たことに驚いたご夫婦が、自分たちの車で一緒に行きましょうと仰ってくださったので、ここはお言葉に甘えて車に乗せてもらうことに。
おまけに、おっさんがお昼を食べてないと思い、神社に来る途中でコンビニに寄って買っておいたお茶とパンをいただきました。
もう、感謝、感謝です。
御朱印をいただくことができたうえに金川駅まで送ってもらい、大変助かりました。
おかげで帰りは歩かなくて済みました。
本当に、ありがとうございました。
※御朱印は要連絡です。
車が無い方は、金川駅からタクシーで行かれた方が良いかも。
ご覧いただき、ありがとうございました。
石上布都魂神社へのアクセス