日本アルプスの総鎮守 穂高神社 長野県安曇野市
信州安曇野・松本一泊二日の神社めぐり ~穂高神社
JR東日本『えきねっと』のお先にトクだ値スペシャルで新宿から松本までの特急あずさの料金が50%割引でしたので、1泊2日で長野県松本市へ行ってきました。
初の松本ですが、せっかくここまで来たので穂高神社をお参りしようと大糸線に乗り換えて「穂高駅」へ。
駅からは5分程で到着しました。
広々とした境内。
木々も新緑の季節を迎えて生気がみなぎっている。天気にも大変恵まれて気持ち良かったです。
鳥居前の狛犬さん。大胸筋ムキムキですね。
お祭りで使われた船だろうか。
拝殿に最も近い位置にある両部式の鳥居。5月3日に改築されたばかりで新しい。
穂高神社の主祭神は、穂高見命(ほたかみのみこと)という神様で海神・綿津見命の御子神です。創建年代は不詳ですが、北九州からこの地に定着した安曇氏が祖神を祀ったのが始まりとされています。本宮の他に奥宮と嶺宮があり、奥宮は上高地明神池畔に、嶺宮は奥穂高岳山頂にあります。
神楽殿横にある大きな杉は「孝養杉」と呼ばれ、樹齢五百年超とか。触れることもできますので、ぜひパワーをいただきましょう。
境内にある若宮社。ご祭神は、安曇連比羅夫命(あずみのむらじひらふみのみこと)。天智天皇二年(663年)、唐・新羅連合軍との白村江の戦いで戦死しました。命日とされる9月27日には例大祭「御船祭り」が行なわれます。また、相殿として御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされる信濃中将が祀られています。
若宮社の狛犬さんです。
若宮社の左右にはいくつか祠が並んでいます。
背後には立派なケヤキが。こちらも樹齢五百年を超えているそうです。
神社で飼われているのか、ニワトリが木陰で休んでいました。
嶺宮を遥拝する祠。後ろには神池があり、鯉が泳いでいます。
北に歩いていくと道祖神群が。安曇野は、単体の市町村では道祖神の数が日本で一番多いそうです。
一体ずつ見ていくと形も違っていて面白い。
こちらは餅をついている。
神社の北、御船会館側にまわって菅原社へ。
近くには、安曇連比羅夫命の像が威風堂々たる姿で建っています。
そして、平成25年に長野県が長寿日本一に認められたことを記念して造られた、日本で唯一のステンレス製道祖神、その名も「健康長寿道祖神」です。
北口にある手水舎の水は安曇野の銘水だそうで、毎年検査を受けて水質基準に適合しているので飲むことができるようです。
透明できれいな水。一口いただきましたが、たしかに美味しい。
目当てのおそば屋さんが定休日でしたので、松本駅に戻ることに。
電車が来るまでホームのベンチで北アルプスの山々をぼ~っと眺めていました。
この後は、松本でお昼をとって浅間温泉でのんびり温泉に浸かりました。
松本でお参りした神社は、またのちほどご紹介させていただきます。
ご覧いただき、ありがとうございました。
穂高神社へのアクセス
連歌発祥の地、日本武尊ゆかりの酒折宮
甲府駅から一駅目の酒折駅で下車し、向かった神社は酒折宮(さかおりのみや)。
山梨県で唯一、「古事記」や「日本書紀」に登場した古い神社です。
社伝によると、日本武尊が東征の帰路、酒折宮に立ち寄り「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌で問いかけたところ、身分の低い焚き火番の老人が「かかなべて夜には九夜日には十日を」との問答歌のやりとりが記載されていたことから、日本における連歌の起源とされ、連歌発祥の地となったようです。
また、武尊がここを発つときに野火攻めから自分を救った火打嚢を塩海足尼(しおみのすくね)に授け、のちに塩海足尼が火打嚢をご神体として社殿を造営したことが始まりであるとも伝えられています。
住宅地のあいだに建つ鳥居をくぐって中央本線の踏切を渡ります。
近くには野球やサッカーの強豪校である山梨学院高校があります。
小ぢんまりとした境内。緑に囲まれていて静かで落ち着きます。
連歌発祥の起源となった日本武尊と焚き火番の老人の問答歌の石碑が建っていました。
狛犬さんにご挨拶して拝殿へ。
本殿西側に広がる丘には磐座と思われる巨石群があります。
付近には梅や紅葉の名所である不老園やシャトー酒折ワイナリーなどがありますので、足を運んでみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
酒折宮へのアクセス
武田神社例大祭へ 4月12日は武田信玄の命日です
この日は、戦国時代の名将武田信玄の命日であります。
信玄公をご祭神としている武田神社では例大祭が行なわれ、併せて応募で選ばれた一般参加者扮する武田二十四将の騎馬行列と御神輿が市内一円を練り歩きます。
今回はスーパーあずさやかいじなどの特急列車ではなく、普通電車で。
朝食を食べられなかったのでお腹ぺこぺこ。甲府駅に着いてすぐに丸政さんへ。
名物の山賊揚げにかきあげとかけそばを。
けっこうなボリュームで大満足。ご馳走様でした。
歩いて武田神社へ。
一年ぶりの武田神社。前回は信玄公祭りのときでした。
拝殿前には御神輿が待機中。
着いた頃には既に本殿や拝殿内で祭礼が行なわれていました。
武能殿では、神楽が奉納されていました。
拝殿前に続々と人が集まってきたので見に行くと、信玄公の御魂を御神輿に移す儀式が始まっていました。
この間、神職からオーという声「警蹕(けいひつ)」が発せられ、厳かに執り行われていました。
祝詞が奏上され、いよいよ御神輿が出立する時間が近付いてきました。
火縄銃の号砲が轟き、行列と御神輿が市内に向かって出発。
神社の前で待機していた武田二十四将の騎馬行列が後に続きます。
この後、市内を一円して夕方に戻ってきます。
武能殿では引き続き神楽や巫女舞が行なわれていましたが、おっさんはリニューアルした武田氏館跡を見学。
その後、ぶらぶらしながら甲府駅に行くと、ちょうど武田二十四将の騎馬行列と遭遇。
間近で見ることができました。
信玄公役の方は、鹿児島から来たとのこと。
お昼は、駅前にある小作さんで。
「豚肉ほうとう」と瓶ビールを注文。う~ん、やっぱり美味しい!
信玄公祭りは通りに露店も並び大勢の見物客で賑わいますが、こちらは人が少なく割とゆっくり見物することができました。駅前の人気店も並ばずにすんなりと入ることができたので良かったです。
ご覧いただき、ありがとうございました。
武田神社へのアクセス
天皇が誕生した日本はじまりの地、橿原神宮を訪ねる
3月23日、奈良県2泊3日の『神社めぐり旅』最終日は、初代神武天皇をお祀りしている橿原神宮をお参りしました。
橿原神宮の創建は、明治二十三年(1890年)。
およそ二千六百余年前、日向国高千穂を出発し、東征を成し遂げた神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)ことのちの神武天皇が、畝傍山の東南の麓に築いた橿原宮で天皇に即位したという「古事記」や「日本書紀」の記述に基づき、その跡地に建てられました。
最寄駅は、近鉄線「橿原神宮前駅」。中央口を出て道をまっすぐ行くと辿り着きます。
おっさんは、橿原神宮前駅近くのホテルに宿泊していましたので早朝に参拝しました。
表参道の一之鳥居。新しくてピッカピカ。
昨年10月から改修工事が進められていて、まだ建て替えられたばかり。昨日、立柱祭が執り行われました。
一之鳥居からまっすぐに延びた参道は中央参道。この両外側にも同じように参道があります。
宮川に架かる神橋。
南神門広場に出ました。
門を通って、いよいよ神域内へ。
神域内はとてつもない広さ。
外拝殿もでかい。
ここから内拝殿と背後の畝傍山を拝みます。
この北神門は、もとは正門だったそうです。
森林に囲まれた一画にある若桜友苑。航空母艦瑞鶴の碑があります。
畝傍山への登山口がありました。登ってみたかったけど、昨日の三輪山登山で左ひざに痛みが出たためパス。
最後は、末社の長山稲荷社へ。
古くからこの地にお祀りされていた神社で開運厄除け、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるそうです。
南神門広場の南側に広がる深田池を散歩してホテルに戻りました。
天皇が誕生した地、そして日本の始まりの地となった橿原神宮。来年4月には御鎮座130年を迎えます。一度足を運び歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
橿原神宮へのアクセス
大和神社 世界最大最強を誇った戦艦大和ゆかりの神社
大神神社の次に訪れたのは、天理市新泉町にある大和(おおやまと)神社です。
三輪駅から奈良行きの桜井線に乗り、最寄の長柄(ながら)駅で下車。ここから徒歩で向かいました。
大和神社の主祭神、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は、宮中内に天照大神とともに奉斎されていた大地主大神(おおことぬしのおおかみ)で、社伝によれば二千余年前の第十代崇神天皇六年に、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)によって大和郷に移されたのが始まりとされます。
古くから朝野の崇敬篤く、「延喜式」にも記載された古社のひとつ。奈良時代には遣唐使が参詣し安全を祈願するなど交通安全や厄除けにご利益があるそうです。
また、太平洋戦争では、世界最大最強を誇った「戦艦大和」の守護神として艦内に分祀されました。境内の祖霊社には大和とともに運命を共にした伊藤整一第二艦隊司令長官や2,736柱の英霊が合祀されています。
第一鳥居をくぐって参道へ。
第一鳥居から向うに見える第二鳥居までの参道は、分祀した戦艦大和とほぼ同じ約270mの長さと言われています。
御朱印をいただいた際に、宮司さんに聞きましたら「そう言われているけど、実物見たことないから実際どうなんだろうねぇ」というお答えでした笑。
境内はとても静か。
狛犬さんにご挨拶して、拝殿へ。
拝殿の奥には三つの本殿が並んでおり、左に御年大神(みとしのおおかみ)、中央に日本大国魂大神、右に八千戈大神(やちほこのおおかみ)を祀っています。
水の神様をお祀りしている摂社高龗(たかおおかみ)神社。
境内にある戦艦大和の石碑。
大和の模型などが展示されている小さな資料館が併設されていますので、興味のある方はこちらものぞいてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
大和神社へのアクセス
JR桜井線「長柄駅」より徒歩20分
大和国一の宮 大神神社
大神神社参拝、そして三輪山を登拝しました
2日目は、桜井市三輪にある大和国一の宮である大神神社をお参りしました。
ご祭神は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。神話では国造り、そして国譲りの神様として登場した大国主神が自らの和魂を祀ったのが始まりとされます。
国造りの神様なので農業や工業、商業などすべての産業開発、また、医療や酒造、方除け、縁結び等人間生活の守護神として、広く親しまれています。
最寄りの三輪駅で下車し、歩くこと5分ほどで着きました。まだ朝の8時30分頃なので参拝者が少ない。
鳥居をくぐって参道を歩く。
空気が澄んでいて、清々しい気分になります。
手水舎でお清めして拝殿へ。吐水口はシンボルである蛇の像。
拝殿。背後に聳える三輪山をご神体としているので本殿はありません。原初の神祀りの姿を現在に伝えられています。
御神木の巳の神杉。大物主大神の化身である白蛇が棲んでいるそうです。
時折、杉の洞から蛇が出入りすることもあるとか。
蛇の好物である卵と酒造の神様に感謝してお酒がお供えされていました。
参集殿で御朱印をいただいた後は、目的である三輪山を登ります。
儀式殿横のくすり道から登山口の狭井神社に向かいます。
くすり道から続くこの参道も、いい雰囲気。
山に登らなくてもぜひ参拝してみて下さい。
三輪山を登拝するにあたってのルールと注意点
昔は神聖な場所でしたので一般人の入山は厳しく制限されていましたが、現在は、正月や大祭日などの特別な日を除けば入山することができます。
登山口は狭井神社にありますので、ここで受付けをしなければなりません。
受付時間などは以下の通りです。
受付時間と料金
①受付時間 9:00~14:00(時間厳守)
②下山報告 16:00まで(時間厳守)
③登拝料 一人300円
慣れている人は1時間30分から2時間ほどで往復できますが、初心者や体力があまりない人は2時間から3時間かかるそうです。16時までに戻らないといけませんので時間に余裕をもって登りましょう。
続いて、主な禁止事項です。
①水分補給以外の飲食
②火気の使用
③カメラやスマホ・携帯電話での写真撮影
受付時に、その他にも注意事項を説明されますので必ず守りましょう。
その他
①コインロッカーあり(100円硬貨が戻るタイプ)
②服装は動きやすい恰好、靴はスニーカーやスポーツシューズで
③汗をかくのでタオルやハンカチ、水分補給用のペットボトル飲料を持参する
おっさんは今回2回目の登拝です。
受付け時に渡された参拝証を首にかけ、狭井神社に安全祈願して出発!
写真撮影はここまで。それでは、行ってきます。
肌寒いとはいえ、急勾配の道を登るので汗をかきました。タオルを持って行って正解でしたね。夏場は全身汗でびしょびしょになります。
おっさんは磐座がある頂上に30分近くいましたので、往復で2時間ちょっとかかりました。
参拝証を受付に返して下山報告。狭井神社にも無事下山できたことを感謝します。
そして、神社の裏手にある薬井戸でご神水をいただきました。
生で飲めることがすごい。ペットボトルがあれば持ち帰ることができます。
靴に着いた泥を洗い流し、しばらく休憩してから久延彦(くえひこ)神社へ。
知恵の神様、久延毘古命をお祀りしている神社で、受験合格などに御利益があります。
檜原神社にも足を延ばしてみました。
古道を20分くらい歩いて到着。
崇神天皇の御代、宮中から託された天照大御神を皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が、倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)に磯城神籬(しきひもろぎ)を立ててお祀りしたことから元伊勢と呼ばれているそうです。
最後は、大鳥居へ。大きくて迫力あります。
三輪山は一度登ることをおすすめします。
中には裸足で登っている人もいました。聞けば、とても気持ちが良いとのこと。
次、登る機会があれば裸足でチャレンジしてみようかな。
ご覧いただき、ありがとうございました。
大神神社へのアクセス
JR桜井線「三輪駅」より徒歩5分
奈良県橿原市入鹿神社 全国で唯一蘇我入鹿を祀った神社
橿原市周辺は飛鳥時代の豪族蘇我氏ゆかりの地であり、今も「蘇我」・「曽我」といった地名が残っています。
その橿原市小綱にある入鹿神社は、大化の改新で知られる中大兄皇子と中臣鎌足らによる乙巳(いっし)の変で暗殺された蘇我入鹿の首を祀った神社で、蘇我入鹿を神様として祀る神社は、全国でもこの神社だけだそうです。
首をはねられたということで、昔から首から上の病に霊験あらたかな神として信仰があるとか。
神社にあったパンフレットによると、明治政府から橿原神宮造営にあたり、神武天皇を祀る橿原神宮近くに逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、祭神を素戔嗚尊に、社名を地名からとった「小綱神社」に改名するよう言われましたが、地元住民は拒否して社名と御祭神を守ったそうです。
歴史の教科書では悪逆非道な人物として登場しますが、地元では英雄として親しまれているようです。
踏切を渡って道をまっすぐ進んで、飛鳥川にかかる橋を渡ります。
突き当りを左へ行くと案内看板がありますので、看板が差す矢印の方向へ進めば到着です。
閑静な住宅地の中にひっそりと佇んでいました。
まずは拝殿で参拝します。
扉にある覗き穴から中を窺うことができるようです。
写真もOKでした。
入鹿像のレプリカ。
何と、本殿にも行けるそうです!
しかも撮影まで出来るとは!
本殿。
造営は江戸時代初期とされ、1986年老朽化に伴い解体修理されました。
中央の蛙股肘木の中には彫刻が施されています。
造りは一間社春日造・檜皮葺。本殿は西向きとなっており、廃寺となった普賢寺の鎮守社であったことを偲ばせています。
境内に建つ正連寺大日堂(元普賢寺)。
こちらも覗き穴から堂内を窺えます。堂内には鎌倉時代の作とされる大日如来像や肖像品が多数安置されていました。
神社もきれいに管理されていて、地元の人達から親しまれているのが感じられました。
駅からも近いので一度訪れてみてはいかがでしょうか。
入鹿神社へのアクセス