豊後国一の宮 大分県西寒田神社
大分県の神社めぐり旅② ~西寒田神社
二日目は、朝からあいにくの雨。
別府から電車に乗って大分駅へ。
ちょうど通勤と通学時間にぶつかってしまい、車内は大混雑プラス車椅子対応で遅延発生というハプニング。おまけに、大分駅に着くやいなやお腹が痛くなってしまい、しばらくトイレから出られない状況となってしまいました…。
バスに乗れなかったので、豊肥本線「敷戸駅」から雨の中を歩いていくことに。
30分くらい歩いたかなぁ、ようやく西寒田神社に到着。
神社へは、この寒田川にかかる石造の「万年橋」を渡って入ります。
いや~、入口からしてとても良い雰囲気のある神社ですね。
美しいアーチを描いたこの万年橋は、江戸時代末期の文久2年(1862年)に造られたもの。
神苑には、見事な藤棚が広がっています。花が咲く時期は、格別でしょうね。
境内に入ると土砂降りに。この天気なので、さすがに参拝者は誰もいませんでした。
狛犬さんにご挨拶して拝殿をお参りします。
片足の色だけ違うのがチャームポイント。
西寒田神社は、西寒田大神(天照大御神・月読尊・天忍穂耳命)を主祭神として、相殿に応神天皇、神功皇后、武内宿祢と他十柱を神様としてお祀りしています。
社伝によれば、応神天皇9年の4月に、武内宿祢が勅命を奉じて西寒田山に宮殿を建立したのが始まりと云われています。応永15年(1408年)、守護大名大友親世が山頂より社殿を現在地に遷し、以後大友氏歴代から篤く崇敬されました。
参拝後は、境内を散策しました。
本殿の西側にある神庫は、校倉造りを特徴とした入母屋造り浅瓦葺き、高床式の建物で大分県ではあまり例がない大変貴重な建物だそうです。
こちらから本宮山(西寒田山)に登れるようです。
鬼の歯形石と呼ばれる石がありました。
埼玉県から来たことを伝えると、お清めの塩をいただきました。
33年目ごとに行なわれる特殊神事、御神衣祭(かんみそまつり=御祭神の神衣を新調して納める式年大祭)は、次回2029年とのこと。おっさんにとってはラストチャンスなので、この年にまた訪れたいですね。
帰りも敷戸駅まで歩きました。
この後は、柞原八幡宮へ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
西寒田神社へのアクセス
大分バス「ふじが丘南」バス停より徒歩8分
豊前国一の宮 大分県宇佐神宮
大分県の神社めぐり旅① ~宇佐神宮
3日間の休みが取れたので、2泊3日で大分県に行ってきました。
初日は、全国に四万余社ある八幡宮の総本社・宇佐神宮をお参りしました。
10時10分、大分空港から中津・豊後高田方面行きのリムジンバスに乗り、最寄の宇佐八幡バス停には11時20分に到着しました。
まずは表参道から。
商店街を通り抜けて神橋を渡ります。
大鳥居の手前にある黒男神社。
ご祭神は、竹内宿祢。景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と二四〇余年間五代の天皇に大臣として仕えたという人物。
大鳥居をくぐって神域内へ。
参道を歩いて行くと茅の輪がありました。
宇佐神宮の参拝手順は上宮から下宮ですので、まずは上宮に向かいました。
ここの参道は雰囲気がとても良くて癒されます。
石畳を歩いて行くと「夫婦石」がありました。夫婦やカップルは手をつないで一緒に片足ずつ、独身の人は両足で踏むとご利益があるとか。
西大門。国宝の本殿、勅使門とともに宇佐神宮の景観を象徴する建物だそうです。
門を抜けて上宮へ。
参拝にも順番があるようです。
最初に手前の一之御殿、続いて中央の二之御殿、最後に三之御殿。
また、作法も多くの神社が二拍手なのに対し、宇佐神宮は四拍手です。
上宮をお参りしたら、ぜひ触れておきたいのが御神木の大楠。
「EXILE」のUSAさんが、アルバムのミリオンセラーを祈願したことで有名になったパワースポットのひとつですよ。
次に、下宮へ向かいました。
若宮神社を左へ、石畳の参道を歩いて行きます。
こちらが下宮です。
上宮とはまた違った雰囲気。とても静かで、落ち着きます。
上宮と下宮の参拝を終え、ご祭神の八幡大神が現れたという御霊水へ。
上宮への参道途中にある亀山神社から石段を下っていきます。
菱型池に出ました。橋を渡ると水分神社。奥へ進むと御霊水があります。
御霊水は、何というか空気が他の場所と違いますね。
欽明天皇三十二年(571年)に八幡神(応神天皇)が三歳の子供の姿で、「われ、誉田天皇広幡八幡麻呂なり」と言って現われたと云われています。
御朱印をいただき、西参道にある呉橋ともうひとつのパワースポットである願掛け地蔵へ行ってみました。
このピンクと黄色の合羽を着た二体のお地蔵さん。
誰にも見られないで参拝すれば、一生に一度だけ願いをかなえてくれると伝えられているそうですよ。
ラッキーなことに道中誰にも会いませんでしたので、願掛けしてみました。願いごと、かなうといいなぁ。
帰りのバスまで時間があったので、大尾山に鎮座する大尾神社と道鏡事件で国家を救ったという和気清麻呂を祀る護王神社へ。
人の気配まるで無し。急階段と蒸し暑さで汗が止まらない。
寝不足で急階段はきつい!ようやく大尾神社に着きました。
この季節、山の中は蚊がたくさんいますので虫除けスプレーは必ず携帯してください。悲惨な目に会いますので。
バスは1時間に1本しかありませんので、時刻表をよく確認してください。
特急ソニック号で別府へ。乗り心地が最高で、寝てしまいそうでした。
別府に到着。駅前にある油屋熊八さんの像は、ラグビーワールドカップに合せてラグビーのユニフォームが着せられていました。
続きは、また後程。
ご覧いただき、ありがとうございました。
宇佐神宮へのアクセス
大分空港から中津・豊後高田方面行きリムジンバス「宇佐八幡」下車、徒歩10分
JR「宇佐駅」より大分交通路線バス「宇佐八幡」下車、徒歩10分
鉢形城跡諏訪神社と寄居北條祭り
5月19日(日)、今年で58回目を迎えた「寄居北條祭り」を観てきました。
場所は、埼玉県大里郡寄居町。最寄駅は東武東上線、八高線、秩父線の「寄居駅」になります。
このお祭りは、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で、鉢形城に攻めてきた前田利家、上杉景勝等5万の豊臣勢を相手に、わずか3千5百の兵で1ヶ月余り籠城戦を展開した北条氏邦の戦いを、舞台となる玉淀河原で再現したものです。
本祭会場となる玉淀河原では、9時から特設舞台でアトラクションやショーが行なわれます。その後、武者隊パレード、セレモニーが続き、14時から攻防戦が開始されます。
さて、このブログのテーマは神社ですので、まずは鉢形城公園にある諏訪神社に向かいました。
荒川に架かる正喜橋を渡り、鉢形城公園へ。
道を奥へ進んで行くと、三の曲輪と復元された四脚門があります。
更に奥へ行くと、鳥居が見えました。
「兵力のちがい是非なし鉢形城」…確かに。
境内へ。
石段の手前にある御神木のケヤキ。
ひっそりとした境内。遠くからお祭りの音楽が聞こえてくる。
案内板によると諏訪神社は、武州日尾城主の諏訪部遠江守が家老として出仕したときに、守護氏神として信州諏訪神社から分祀したと伝えられています。
豊臣軍との戦いで降伏開城すると北条氏の家臣たちが離れていき、人々も少なくなりましたが、城下の立原の人たちは鎮守様と崇敬し、館の跡を社地として神社を建立しました。本殿は宝暦年間、その他の建造物は天保年間に造営されたそうです。
勧請した信州諏訪神社の遥拝所でしょうか。
二の曲輪には稲荷神社がありましたので、こちらもお参りしました。
11時を過ぎたので、北條食の陣の会場である市街地太子様駐車場へ足を運びました。
玉淀河原に行く途中にあります。
すでに大勢の人で賑わっていました。おっさんは、しゃも焼きをおつまみに昼ビール。
会場は、北条氏ゆかりのご当地グルメの屋台が出ていて寄居町の戦国ハ―ぶ~丼や東松山のみそだれやきとり、三島コロッケなどおいしそうな食べ物がありました。
テーブルがすぐに満席になりますので、座りたい方は早目に行った方が良いですね。
暑いので近くのスーパーで麦茶とアイスを買って玉淀河原へ。
上州真田武将隊によるパフォーマンス。盛り上がっていました。
午後になって甲冑を着た武者たちが集結。各市長や議員さんたち関係者の紹介と挨拶によるなが~いセレモニーが終わり、ようやく14時頃に攻防戦が始まりました。
大砲は轟音が響き、大変迫力がありました。
最後は敵味方集まって大団円で終了。
暑い中、お疲れ様でした。
せっかくなので川に入ってみました。冷たくて気持ちいい。
鉢形城公園には歴史館があり、200円で館内を見学することができます。常設展示室には250分の1の鉢形城復元模型や、鉢形城と北条氏邦についてまとめられた映像を見ることができますので、歴史に興味がある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
諏訪神社へのアクセス
長野県松本市浅間温泉の御射神社春宮を訪れました
信州安曇野・松本一泊二日の神社めぐり ~浅間温泉の御射神社春宮
今回泊まった場所は、1300年の歴史を持つ松本の奥座敷浅間温泉でした。
平日に訪れたため宿泊客も少なく、ゆっくり温泉に浸かることができました。
さて、翌朝。朝風呂に入った後に朝食まで時間があったので付近を散策してみました。
向かった先は御射(みしゃ)神社春宮。
古くは浅間社と呼ばれ、『吾妻鏡』には本郷六ヶ村を社領とする大社として記載されていたほどの古社。約650年前、この地を治めていた赤沢氏が諏訪の御射山神社を勧請し、社名を御射神社に改め、浅間の社を春宮、北東の三才山にある社を秋宮と呼ぶようになったそうです。
鳥居のすぐ側にある御神木。
境内に入ると、早速道祖神が。
奥に進むと三体の古い道祖神があります。昔、上浅間や下浅間の辻道にありましたが、道路拡張のため移されました。
参道の右側の道祖神は、確認できませんでしたが、案内板によると寛政11年(1799)正月吉日浅間村と刻まれているとのこと。
左側にある文字道祖神は、上浅間村にあったもの。天保10年(1839)己亥正月建立と刻まれていました。
同じく左側の双体道祖神は、宝暦7年(1757)丑正月と刻まれていたそうです。
階段を上って社殿へ。
狛犬さんにご挨拶。
拝殿。
ご祭神は諏訪神社と同じ建御名方命、八坂刀売命、事代主命。無事平穏、家運長久、疫病排除、商売繁盛、五穀豊穣などのご利益があるとされています。
裏側に回ることができるようです。
斜面を登って本殿を拝見しました。
神明造りだ。
背後は伐採された幹が転がっていました。
雨で斜面が崩れたら下の社殿に直撃するのでは。
最後に宮沢雅楽翁の筆塚を見て宿に戻りました。
毎年10月初旬には「松明祭り」という、大小40本余りの松明を担ぎ、火焔太鼓を響かせて温泉街を練り歩く火祭りが行なわれます。
この静かな温泉街がどのような光景になるのか一度観てみたいですね。
浅間温泉に訪れた際は、温泉街の散策でお参りしてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
御射神社春宮へのアクセス
路線バスアルピコ交通松本「浅間温泉」より徒歩10分
日本アルプスの総鎮守 穂高神社 長野県安曇野市
信州安曇野・松本一泊二日の神社めぐり ~穂高神社
JR東日本『えきねっと』のお先にトクだ値スペシャルで新宿から松本までの特急あずさの料金が50%割引でしたので、1泊2日で長野県松本市へ行ってきました。
初の松本ですが、せっかくここまで来たので穂高神社をお参りしようと大糸線に乗り換えて「穂高駅」へ。
駅からは5分程で到着しました。
広々とした境内。
木々も新緑の季節を迎えて生気がみなぎっている。天気にも大変恵まれて気持ち良かったです。
鳥居前の狛犬さん。大胸筋ムキムキですね。
お祭りで使われた船だろうか。
拝殿に最も近い位置にある両部式の鳥居。5月3日に改築されたばかりで新しい。
穂高神社の主祭神は、穂高見命(ほたかみのみこと)という神様で海神・綿津見命の御子神です。創建年代は不詳ですが、北九州からこの地に定着した安曇氏が祖神を祀ったのが始まりとされています。本宮の他に奥宮と嶺宮があり、奥宮は上高地明神池畔に、嶺宮は奥穂高岳山頂にあります。
神楽殿横にある大きな杉は「孝養杉」と呼ばれ、樹齢五百年超とか。触れることもできますので、ぜひパワーをいただきましょう。
境内にある若宮社。ご祭神は、安曇連比羅夫命(あずみのむらじひらふみのみこと)。天智天皇二年(663年)、唐・新羅連合軍との白村江の戦いで戦死しました。命日とされる9月27日には例大祭「御船祭り」が行なわれます。また、相殿として御伽草子のものぐさ太郎のモデルとされる信濃中将が祀られています。
若宮社の狛犬さんです。
若宮社の左右にはいくつか祠が並んでいます。
背後には立派なケヤキが。こちらも樹齢五百年を超えているそうです。
神社で飼われているのか、ニワトリが木陰で休んでいました。
嶺宮を遥拝する祠。後ろには神池があり、鯉が泳いでいます。
北に歩いていくと道祖神群が。安曇野は、単体の市町村では道祖神の数が日本で一番多いそうです。
一体ずつ見ていくと形も違っていて面白い。
こちらは餅をついている。
神社の北、御船会館側にまわって菅原社へ。
近くには、安曇連比羅夫命の像が威風堂々たる姿で建っています。
そして、平成25年に長野県が長寿日本一に認められたことを記念して造られた、日本で唯一のステンレス製道祖神、その名も「健康長寿道祖神」です。
北口にある手水舎の水は安曇野の銘水だそうで、毎年検査を受けて水質基準に適合しているので飲むことができるようです。
透明できれいな水。一口いただきましたが、たしかに美味しい。
目当てのおそば屋さんが定休日でしたので、松本駅に戻ることに。
電車が来るまでホームのベンチで北アルプスの山々をぼ~っと眺めていました。
この後は、松本でお昼をとって浅間温泉でのんびり温泉に浸かりました。
松本でお参りした神社は、またのちほどご紹介させていただきます。
ご覧いただき、ありがとうございました。
穂高神社へのアクセス
連歌発祥の地、日本武尊ゆかりの酒折宮
甲府駅から一駅目の酒折駅で下車し、向かった神社は酒折宮(さかおりのみや)。
山梨県で唯一、「古事記」や「日本書紀」に登場した古い神社です。
社伝によると、日本武尊が東征の帰路、酒折宮に立ち寄り「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌で問いかけたところ、身分の低い焚き火番の老人が「かかなべて夜には九夜日には十日を」との問答歌のやりとりが記載されていたことから、日本における連歌の起源とされ、連歌発祥の地となったようです。
また、武尊がここを発つときに野火攻めから自分を救った火打嚢を塩海足尼(しおみのすくね)に授け、のちに塩海足尼が火打嚢をご神体として社殿を造営したことが始まりであるとも伝えられています。
住宅地のあいだに建つ鳥居をくぐって中央本線の踏切を渡ります。
近くには野球やサッカーの強豪校である山梨学院高校があります。
小ぢんまりとした境内。緑に囲まれていて静かで落ち着きます。
連歌発祥の起源となった日本武尊と焚き火番の老人の問答歌の石碑が建っていました。
狛犬さんにご挨拶して拝殿へ。
本殿西側に広がる丘には磐座と思われる巨石群があります。
付近には梅や紅葉の名所である不老園やシャトー酒折ワイナリーなどがありますので、足を運んでみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
酒折宮へのアクセス
武田神社例大祭へ 4月12日は武田信玄の命日です
この日は、戦国時代の名将武田信玄の命日であります。
信玄公をご祭神としている武田神社では例大祭が行なわれ、併せて応募で選ばれた一般参加者扮する武田二十四将の騎馬行列と御神輿が市内一円を練り歩きます。
今回はスーパーあずさやかいじなどの特急列車ではなく、普通電車で。
朝食を食べられなかったのでお腹ぺこぺこ。甲府駅に着いてすぐに丸政さんへ。
名物の山賊揚げにかきあげとかけそばを。
けっこうなボリュームで大満足。ご馳走様でした。
歩いて武田神社へ。
一年ぶりの武田神社。前回は信玄公祭りのときでした。
拝殿前には御神輿が待機中。
着いた頃には既に本殿や拝殿内で祭礼が行なわれていました。
武能殿では、神楽が奉納されていました。
拝殿前に続々と人が集まってきたので見に行くと、信玄公の御魂を御神輿に移す儀式が始まっていました。
この間、神職からオーという声「警蹕(けいひつ)」が発せられ、厳かに執り行われていました。
祝詞が奏上され、いよいよ御神輿が出立する時間が近付いてきました。
火縄銃の号砲が轟き、行列と御神輿が市内に向かって出発。
神社の前で待機していた武田二十四将の騎馬行列が後に続きます。
この後、市内を一円して夕方に戻ってきます。
武能殿では引き続き神楽や巫女舞が行なわれていましたが、おっさんはリニューアルした武田氏館跡を見学。
その後、ぶらぶらしながら甲府駅に行くと、ちょうど武田二十四将の騎馬行列と遭遇。
間近で見ることができました。
信玄公役の方は、鹿児島から来たとのこと。
お昼は、駅前にある小作さんで。
「豚肉ほうとう」と瓶ビールを注文。う~ん、やっぱり美味しい!
信玄公祭りは通りに露店も並び大勢の見物客で賑わいますが、こちらは人が少なく割とゆっくり見物することができました。駅前の人気店も並ばずにすんなりと入ることができたので良かったです。
ご覧いただき、ありがとうございました。
武田神社へのアクセス