三河国一の宮 砥鹿神社 愛知県豊川市
全国一の宮めぐり 愛知県豊川市砥鹿神社
7月18日から19日、一泊二日で愛知県豊川市の砥鹿神社をお参りしました。
「ぷらっとこだま」を利用して東京から浜松まで行き、東海道本線に乗り換えて豊橋へ。次に、豊橋で飯田線に乗り換えて最寄りの三河一宮駅に向かいました。
ちなみに、飯田線は豊川以降の駅は交通系ICカードが使えません。豊川より先に行く場合は切符を購入する必要があります。スイカやパスモで乗車してしまったときは、乗務員さんが車内をまわっていますので、声を掛ければ精算してくれます。
改札を出ると直ぐに神社への案内板があり、迷わず辿り着くことができました。
表参道側の鳥居。
神門をくぐって境内へ。
まずは社殿へ。
砥鹿神社は、大己貴命を神様としてお祀りしています。
創建年代は不明ですが、社伝によれば、神代に国土を開拓した大己貴命が本宮山に留まったことから永く神霊を止め置く場所、止所(とが)の地とされたとあります。また、「三河一宮砥鹿大菩薩御縁起」によると、大宝年間に文武天皇の病気平癒祈願のためにこの地に勅使として遣わされた草鹿砥公宣卿を導いた老翁の望みにより、本宮山山麓に社殿を建立したとあり、古くから朝廷の崇敬篤く「延喜式」では式内社に列せられた程の大変歴史のある神社です。
さて、御朱印をいただいた後は境内を散策しました。
日本一の大きさを誇るという「さざれ石」。安産や幸福を願って触れると良いとか。
神門の傍にある「背丈石」は、全国一の宮巡りを達成した四組のご夫婦によって奉納されたという石碑。
これはぜひとも触れてパワーをいただかなくては。先輩たちのように、おっさんも達成できますように。
境内にはこの他にもパワーストーンがありますので、詳細は神社のホームページで調べてください。
拝殿の西にある「えびす社」へ。
建物内に上がれるようなので、上がってみました。
大きなえびす様が歓迎してくれました。
たくさんの奉納された提灯。
日が暮れたときは良い雰囲気でしょうね。
えびす社の隣りにある絵馬殿には、鹿さん親子がいました。
えびす社と絵馬殿の北側にある本宮山遥拝所と守見殿神社。
こちらは遥拝所。
守見殿神社。縁結びにご利益があるようでハートの絵馬が奉納されていました。
最後は西参道にある大鳥居へ。
昭和20年に空襲によって被弾した鳥居。あちこちに被弾跡が見られましたが、よく残ったものです。平成25年に市の文化財に指定されました。
神社に着いたとき、短時間でしたが土砂降りの雨。またいつ降るか分からない天気でしたので、今回は里宮だけのお参りでした。機会があれば、本宮山山頂の奥宮を登拝したいですね。
ご覧いただき、ありがとうございました。
砥鹿神社へのアクセス
早朝散歩で別府温泉総鎮守八幡朝見神社を参拝
大分県の神社めぐり旅④ ~八幡朝見神社
最終日は、早朝散歩を兼ねて八幡朝見神社をお参りしました。
向かう途中で、住宅街の路地裏で涼んでいた猫さんを発見。タグが付いていたので飼猫かな。
古い商店が軒を連ねる表参道。いいな~、この風景。
参道の敷石には、盃や瓢箪の形をした石があります。初詣のときに踏むと大変縁起が良いとされています。訪れた際は、探してみてください。
参道脇にある広場では、近所のお年寄りたちが集まってラジオ体操をしていました。
ふたつめの鳥居をくぐると、まるで門のような二本の巨大な杉の木が立っています。
寄り添うかのように並んでいるので「夫婦杉」と呼ばれ、親しまれています。
カップルでしたら、この間を二人で通り抜けると結ばれるとか。
手水舎の水は、「萬太郎清水」という名水。旱魃でも涸れず、長雨でも濁らず常に湧き続けています。
名前の由来は、不治の病の父親が、孝行息子萬太郎が汲んできた朝見の清水を飲むとたちまち全快したという伝説から付けられました。
見てください、この透明感。すごくきれいです。
階段を登って社殿へ。
本殿。
八幡朝見神社の由緒は、建久7年(1196年)10月9日に、鎌倉幕府から豊前・豊後の守護職に任命されて赴任した大友能直が、鶴岡八幡宮より勧請したことが始まりと云われています。以降、歴代大友氏当主から篤く崇敬されました。
御祭神は、仁徳天皇、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の他に大歳神、迦具土命、大穴牟遅命、少名彦命です。
第二次大戦後、かつて別府温泉の鎮守であった温泉神社を合祀し、毎年4月に行なわれる別府八湯温泉祭りの中心となっています。
拝殿前の広場は大舞台のようになっていて、別府市街地を一望できます。
社殿の側にそびえる県の天然記念物に指定されている御神木の大楠。樹齢は1000年余とか。
境内には蔵を利用したお茶処があり、萬太郎清水で淹れたコーヒーやお茶を飲むことができるようです。営業時間は10時から。
お茶処を過ぎたところには水汲み所があり、自由に萬太郎清水を持ち帰ることができるようです。
別府市民の皆さん、うらやましい。
とても雰囲気が良くて落ち着く神社でした。別府に来た際は、温泉街をぶらぶら散策しながらお参りしてみてはいかがでしょうか。
二晩お世話になった北浜。ありがとう。
今度は温泉目的で別府に来たいです。
ご覧いただき、ありがとうございます。
八幡朝見神社のアクセス
豊後国一の宮 大分県柞原八幡宮
大分県の神社めぐり旅③ ~柞原八幡宮
柞原行きの路線バスは本数が少ないので移動が大変。平日は午前3本、午後2本の1日5本だけ。土日になると3本しか運行していません。
13時35分、大分駅前を出発。終点の柞原へは14時に到着しました。
終点で降りたのは、おっさん一人だけ。
帰りのバスの時刻を確認すると17時10分。しかも最終。
うーむ、3時間も滞在できるのか…。
長い階段。
雨が止んで良かった。午前中のような土砂降りだったら登りにくい。
鬱蒼とした森に囲まれていて、神秘的な雰囲気でした。
日暮門と呼ばれる南大門の左手にそびえ立つ御神木のクス。樹齢は三千年とも云われています。二つに分かれた幹のうち、片方の幹の中は空洞になっている。
そして日暮門。ここには見事な彫刻が施されています。
日暮門をくぐると、参道が正面と右斜めの二手に分かれています。
右斜めは神域南正面の楼門への参道。しかし、閉門していて入ることができませんでしたので正面の参道を進んでください。
正面の参道。午前中の大雨で石畳が濡れて滑りやすい。手摺りに掴まりながら歩かないと転びます。
階段を右に行くと西門があります。
ここにも見事な彫刻が。
門をくぐり神域内へ。
天長4年(827年)延暦寺の僧、金亀和尚が宇佐神宮の一千日参籠にて神告を受け、柞原山に勧請したことが始まりとされます。
本殿は、宇佐神宮本殿と同じ八幡造りで嘉永年間(1848~1854年)に再建。本殿の東西に東宝殿、西宝殿が並び、本殿手前に申殿、拝殿、廻廊、楼門が続いています。
廻廊で靴を脱いで拝殿へ。
廻廊には、大友宗麟が奉納したという開運大太鼓があります。
初穂料100円を納めて叩いてみました。いや、いい音が響きます。
同じく廻廊内には奉納された絵が飾られていました。この絵が昔のばかりですごい。
廻廊の中央に拝殿があります。
何か低いなぁと思っていたら、正座して参拝するのだそうです。
廻廊から覗いてみると楼門の左右には隋身像が控えていました。
御朱印をいただき、帰り際、参道脇の稲荷社をお参り。
帰りのバスまで1時間30分以上あるので、歩いて西大分駅に向かうことに。
徒歩の場合は、途中、歩道がない道路を歩きますので車に十分注意が必要です。
浜の市といわれる仲秋祭で仮宮がある火王宮(ひおうぐう)に寄ってみました。
火王宮の社殿。
この神社の狛犬さんは愛嬌のある顔でした。
境内の合格門。門の上に賽銭箱があり、賽銭を投げて1回で入れば受験に合格するとか。
大分県の一の宮めぐりが、これで終了しました。
公共交通機関で行くには柞原八幡宮はバスの本数が少なくて大変ですが、神秘的な雰囲気抜群でおすすめです。
ご覧いただき、ありがとうございました。
柞原八幡宮へのアクセス
「大分駅」または「西大分駅」より柞原行バス終点「柞原」バス停下車
豊後国一の宮 大分県西寒田神社
大分県の神社めぐり旅② ~西寒田神社
二日目は、朝からあいにくの雨。
別府から電車に乗って大分駅へ。
ちょうど通勤と通学時間にぶつかってしまい、車内は大混雑プラス車椅子対応で遅延発生というハプニング。おまけに、大分駅に着くやいなやお腹が痛くなってしまい、しばらくトイレから出られない状況となってしまいました…。
バスに乗れなかったので、豊肥本線「敷戸駅」から雨の中を歩いていくことに。
30分くらい歩いたかなぁ、ようやく西寒田神社に到着。
神社へは、この寒田川にかかる石造の「万年橋」を渡って入ります。
いや~、入口からしてとても良い雰囲気のある神社ですね。
美しいアーチを描いたこの万年橋は、江戸時代末期の文久2年(1862年)に造られたもの。
神苑には、見事な藤棚が広がっています。花が咲く時期は、格別でしょうね。
境内に入ると土砂降りに。この天気なので、さすがに参拝者は誰もいませんでした。
狛犬さんにご挨拶して拝殿をお参りします。
片足の色だけ違うのがチャームポイント。
西寒田神社は、西寒田大神(天照大御神・月読尊・天忍穂耳命)を主祭神として、相殿に応神天皇、神功皇后、武内宿祢と他十柱を神様としてお祀りしています。
社伝によれば、応神天皇9年の4月に、武内宿祢が勅命を奉じて西寒田山に宮殿を建立したのが始まりと云われています。応永15年(1408年)、守護大名大友親世が山頂より社殿を現在地に遷し、以後大友氏歴代から篤く崇敬されました。
参拝後は、境内を散策しました。
本殿の西側にある神庫は、校倉造りを特徴とした入母屋造り浅瓦葺き、高床式の建物で大分県ではあまり例がない大変貴重な建物だそうです。
こちらから本宮山(西寒田山)に登れるようです。
鬼の歯形石と呼ばれる石がありました。
埼玉県から来たことを伝えると、お清めの塩をいただきました。
33年目ごとに行なわれる特殊神事、御神衣祭(かんみそまつり=御祭神の神衣を新調して納める式年大祭)は、次回2029年とのこと。おっさんにとってはラストチャンスなので、この年にまた訪れたいですね。
帰りも敷戸駅まで歩きました。
この後は、柞原八幡宮へ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
西寒田神社へのアクセス
大分バス「ふじが丘南」バス停より徒歩8分
豊前国一の宮 大分県宇佐神宮
大分県の神社めぐり旅① ~宇佐神宮
3日間の休みが取れたので、2泊3日で大分県に行ってきました。
初日は、全国に四万余社ある八幡宮の総本社・宇佐神宮をお参りしました。
10時10分、大分空港から中津・豊後高田方面行きのリムジンバスに乗り、最寄の宇佐八幡バス停には11時20分に到着しました。
まずは表参道から。
商店街を通り抜けて神橋を渡ります。
大鳥居の手前にある黒男神社。
ご祭神は、竹内宿祢。景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇と二四〇余年間五代の天皇に大臣として仕えたという人物。
大鳥居をくぐって神域内へ。
参道を歩いて行くと茅の輪がありました。
宇佐神宮の参拝手順は上宮から下宮ですので、まずは上宮に向かいました。
ここの参道は雰囲気がとても良くて癒されます。
石畳を歩いて行くと「夫婦石」がありました。夫婦やカップルは手をつないで一緒に片足ずつ、独身の人は両足で踏むとご利益があるとか。
西大門。国宝の本殿、勅使門とともに宇佐神宮の景観を象徴する建物だそうです。
門を抜けて上宮へ。
参拝にも順番があるようです。
最初に手前の一之御殿、続いて中央の二之御殿、最後に三之御殿。
また、作法も多くの神社が二拍手なのに対し、宇佐神宮は四拍手です。
上宮をお参りしたら、ぜひ触れておきたいのが御神木の大楠。
「EXILE」のUSAさんが、アルバムのミリオンセラーを祈願したことで有名になったパワースポットのひとつですよ。
次に、下宮へ向かいました。
若宮神社を左へ、石畳の参道を歩いて行きます。
こちらが下宮です。
上宮とはまた違った雰囲気。とても静かで、落ち着きます。
上宮と下宮の参拝を終え、ご祭神の八幡大神が現れたという御霊水へ。
上宮への参道途中にある亀山神社から石段を下っていきます。
菱型池に出ました。橋を渡ると水分神社。奥へ進むと御霊水があります。
御霊水は、何というか空気が他の場所と違いますね。
欽明天皇三十二年(571年)に八幡神(応神天皇)が三歳の子供の姿で、「われ、誉田天皇広幡八幡麻呂なり」と言って現われたと云われています。
御朱印をいただき、西参道にある呉橋ともうひとつのパワースポットである願掛け地蔵へ行ってみました。
このピンクと黄色の合羽を着た二体のお地蔵さん。
誰にも見られないで参拝すれば、一生に一度だけ願いをかなえてくれると伝えられているそうですよ。
ラッキーなことに道中誰にも会いませんでしたので、願掛けしてみました。願いごと、かなうといいなぁ。
帰りのバスまで時間があったので、大尾山に鎮座する大尾神社と道鏡事件で国家を救ったという和気清麻呂を祀る護王神社へ。
人の気配まるで無し。急階段と蒸し暑さで汗が止まらない。
寝不足で急階段はきつい!ようやく大尾神社に着きました。
この季節、山の中は蚊がたくさんいますので虫除けスプレーは必ず携帯してください。悲惨な目に会いますので。
バスは1時間に1本しかありませんので、時刻表をよく確認してください。
特急ソニック号で別府へ。乗り心地が最高で、寝てしまいそうでした。
別府に到着。駅前にある油屋熊八さんの像は、ラグビーワールドカップに合せてラグビーのユニフォームが着せられていました。
続きは、また後程。
ご覧いただき、ありがとうございました。
宇佐神宮へのアクセス
大分空港から中津・豊後高田方面行きリムジンバス「宇佐八幡」下車、徒歩10分
JR「宇佐駅」より大分交通路線バス「宇佐八幡」下車、徒歩10分
鉢形城跡諏訪神社と寄居北條祭り
5月19日(日)、今年で58回目を迎えた「寄居北條祭り」を観てきました。
場所は、埼玉県大里郡寄居町。最寄駅は東武東上線、八高線、秩父線の「寄居駅」になります。
このお祭りは、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐で、鉢形城に攻めてきた前田利家、上杉景勝等5万の豊臣勢を相手に、わずか3千5百の兵で1ヶ月余り籠城戦を展開した北条氏邦の戦いを、舞台となる玉淀河原で再現したものです。
本祭会場となる玉淀河原では、9時から特設舞台でアトラクションやショーが行なわれます。その後、武者隊パレード、セレモニーが続き、14時から攻防戦が開始されます。
さて、このブログのテーマは神社ですので、まずは鉢形城公園にある諏訪神社に向かいました。
荒川に架かる正喜橋を渡り、鉢形城公園へ。
道を奥へ進んで行くと、三の曲輪と復元された四脚門があります。
更に奥へ行くと、鳥居が見えました。
「兵力のちがい是非なし鉢形城」…確かに。
境内へ。
石段の手前にある御神木のケヤキ。
ひっそりとした境内。遠くからお祭りの音楽が聞こえてくる。
案内板によると諏訪神社は、武州日尾城主の諏訪部遠江守が家老として出仕したときに、守護氏神として信州諏訪神社から分祀したと伝えられています。
豊臣軍との戦いで降伏開城すると北条氏の家臣たちが離れていき、人々も少なくなりましたが、城下の立原の人たちは鎮守様と崇敬し、館の跡を社地として神社を建立しました。本殿は宝暦年間、その他の建造物は天保年間に造営されたそうです。
勧請した信州諏訪神社の遥拝所でしょうか。
二の曲輪には稲荷神社がありましたので、こちらもお参りしました。
11時を過ぎたので、北條食の陣の会場である市街地太子様駐車場へ足を運びました。
玉淀河原に行く途中にあります。
すでに大勢の人で賑わっていました。おっさんは、しゃも焼きをおつまみに昼ビール。
会場は、北条氏ゆかりのご当地グルメの屋台が出ていて寄居町の戦国ハ―ぶ~丼や東松山のみそだれやきとり、三島コロッケなどおいしそうな食べ物がありました。
テーブルがすぐに満席になりますので、座りたい方は早目に行った方が良いですね。
暑いので近くのスーパーで麦茶とアイスを買って玉淀河原へ。
上州真田武将隊によるパフォーマンス。盛り上がっていました。
午後になって甲冑を着た武者たちが集結。各市長や議員さんたち関係者の紹介と挨拶によるなが~いセレモニーが終わり、ようやく14時頃に攻防戦が始まりました。
大砲は轟音が響き、大変迫力がありました。
最後は敵味方集まって大団円で終了。
暑い中、お疲れ様でした。
せっかくなので川に入ってみました。冷たくて気持ちいい。
鉢形城公園には歴史館があり、200円で館内を見学することができます。常設展示室には250分の1の鉢形城復元模型や、鉢形城と北条氏邦についてまとめられた映像を見ることができますので、歴史に興味がある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
諏訪神社へのアクセス
長野県松本市浅間温泉の御射神社春宮を訪れました
信州安曇野・松本一泊二日の神社めぐり ~浅間温泉の御射神社春宮
今回泊まった場所は、1300年の歴史を持つ松本の奥座敷浅間温泉でした。
平日に訪れたため宿泊客も少なく、ゆっくり温泉に浸かることができました。
さて、翌朝。朝風呂に入った後に朝食まで時間があったので付近を散策してみました。
向かった先は御射(みしゃ)神社春宮。
古くは浅間社と呼ばれ、『吾妻鏡』には本郷六ヶ村を社領とする大社として記載されていたほどの古社。約650年前、この地を治めていた赤沢氏が諏訪の御射山神社を勧請し、社名を御射神社に改め、浅間の社を春宮、北東の三才山にある社を秋宮と呼ぶようになったそうです。
鳥居のすぐ側にある御神木。
境内に入ると、早速道祖神が。
奥に進むと三体の古い道祖神があります。昔、上浅間や下浅間の辻道にありましたが、道路拡張のため移されました。
参道の右側の道祖神は、確認できませんでしたが、案内板によると寛政11年(1799)正月吉日浅間村と刻まれているとのこと。
左側にある文字道祖神は、上浅間村にあったもの。天保10年(1839)己亥正月建立と刻まれていました。
同じく左側の双体道祖神は、宝暦7年(1757)丑正月と刻まれていたそうです。
階段を上って社殿へ。
狛犬さんにご挨拶。
拝殿。
ご祭神は諏訪神社と同じ建御名方命、八坂刀売命、事代主命。無事平穏、家運長久、疫病排除、商売繁盛、五穀豊穣などのご利益があるとされています。
裏側に回ることができるようです。
斜面を登って本殿を拝見しました。
神明造りだ。
背後は伐採された幹が転がっていました。
雨で斜面が崩れたら下の社殿に直撃するのでは。
最後に宮沢雅楽翁の筆塚を見て宿に戻りました。
毎年10月初旬には「松明祭り」という、大小40本余りの松明を担ぎ、火焔太鼓を響かせて温泉街を練り歩く火祭りが行なわれます。
この静かな温泉街がどのような光景になるのか一度観てみたいですね。
浅間温泉に訪れた際は、温泉街の散策でお参りしてみてはいかがでしょうか。
ご覧いただき、ありがとうございました。
御射神社春宮へのアクセス
路線バスアルピコ交通松本「浅間温泉」より徒歩10分