能生白山神社 新潟県糸魚川市
8月25日(土)、新潟県糸魚川市の能生に鎮座する能生白山神社をお参りしました。
社伝によれば、第十代崇神天皇十年11月初午の日に始まったといわれております。「延喜式」には奴奈川神社と記載されていたようですが、加賀に白山を開いた泰澄大師が仏像を安置するなど白山信仰布教に努めたことから、社名を白山権現に改めたと伝えられています。
御祭神は、伊弉那岐命、奴奈川姫命、大巳貴命です。
手水舎は、ゴミや鳥の羽などが溜まっていてドン引き。
手と口のお清めは、本殿の前にある蛇の口の水でしてください。
境内へ上がる階段。
二之鳥居前にいた狛犬さん。
拝殿の屋根は珍しい茅葺。
こちらが蛇の口の水です。
龍の口から流れる水は、尾山の岩間から湧き出ている水で、新・新潟の名水にも選ばれたとのこと。
本殿。明応年間に火災で焼失しましたが、永正12年(1515年)能登守護畠山義元によって再興されました。
建築様式は三間社流造の前面に一間の向拝を付けた室町時代の特色を示しており、国の重要文化財に指定されている貴重な建物です。
本殿の裏の尾山には、国の天然記念物に指定されている「姫春蝉」が生息するなど自然豊かなところです。
暑くなければ、ゆっくりしたかったですね。
能生海水浴場から弁天岩へ
弁天岩がある能生海水浴場は、一之鳥居から歩いて直ぐ。
能生海水浴場。
波が穏やか。階段に座って海を眺めることができます。
橋を渡って弁天岩へ。
訪れている人がいなかったので、自分のペースで散策できました。
岩の中腹にある厳島神社。
西洋蜜蜂の巣があるようです。注意喚起の案内がありました。
せっかくなので頂上にある灯台へ行ってみることに。
鳥居の前にベンチがありましたので、しばし休憩。
海を見ながら缶コーヒーを。
マリンドリーム能生で開催された奴奈川姫と日本一の大ウス祭りを見物
弁天岩から歩いてマリンドリーム能生へ。
この日、奴奈川姫と日本一の大ウス祭りが行なわれていました。
見学前に、まずはお昼を。
「かに」が有名なのですが、一匹まるごとはちょっと量が多いので、天然岩ガキ(700円)とイカの丸焼き(350円)を肴にビールとハイボール。
カニが好きな方は絶対おすすめです。皆さん、一心不乱に貪っていました。
ほろ酔い加減でお祭りを見学。
お祭りは、大国主命の奴奈川姫への求婚と結婚を祝う祝宴の再現。その後、直径2.5m、重さ15tの日本一の大ウスによる迫力ある餅つき大会でした。
主人公の大国主命と奴奈川姫役の条件は決まっていて、この年結婚または結婚予定のカップルだそうで、この方たちは富山県から来たとのこと。
おめでとうございます!
餅つきはけっこうな重労働。
炎天下の中で皆さん、へばっていたのでおっさんも手伝いました。
この後、餅つきに参加された方にお餅が振る舞われました。
ご覧いただき、ありがとうございました。
能生白山神社へのアクセス
大仁神社 静岡県伊豆の国市
鮎の友釣り発祥の地、伊豆の国市大仁に鎮座する大仁神社(おおひとじんじゃ)をお参り
8月10日、伊豆長岡温泉の宿にチェックインする前に、大仁駅にある 大仁神社を訪れました。
三島駅まで電子マネーで乗車した場合、一旦JRまで行って精算しなければならないのがちょっと不便。週末や行楽シーズンは自動精算機にけっこう人が並ぶので注意が必要です。場合によっては改札の窓口で精算した方が早いです。
何とか電車に間に合い、大仁駅に到着しました。
駅では、「ラブライブ!サンシャイン!!」がお出迎えしてくれましたーー!
ってか、おっさんあまり知らないのですけど。ごめんなさい。
駅前はとても静か。
旧大仁町は、平成17年4月1日に韮山町、伊豆長岡町と合併し、伊豆の国市となりました。長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督が現役時代の昭和42年から48年の間、自主トレの拠点としていた場所だそうです。
ロータリーには、長嶋茂雄ロードの看板と足湯がありました。
飲料用の温泉もあったので、ひとくち飲んでみることに。
…うん、熱い!
確かに温泉だ。
通りを出て左に歩いていくと長嶋茂雄ロードがありました。
ここを真っ直ぐ進み、横断歩道を左へ行きます。
住宅地の路地に入ると、その先に社号標が見えました。
大仁神社と書かれてある。
鳥居をくぐって階段を登ります。
境内は半円形となっていて、何かを鑑賞するような舞台みたいな感じでした。
手水舎の吐水口は、鮎の形。面白い。
それもそのはず。狩野川が流れる旧大仁町は、鮎の友釣り発祥の地なのだそうです。
さて、左右の狛犬さんたちに挨拶してから参拝することに。
大仁神社の創建は平安時代初期の大同年間(806~810年)、大仁に住んでいた人々が産土神として日吉大社の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。
開運、福徳、治水、酒造に福徳があるとして隆盛しましたが、寛永2年(1625年)火災により多くの社殿や社宝、記録が焼失。その後正徳4年(1714年)に再建されましたが、文政12年(1829年)に再度火災によって焼失してしまいました。文化2年(1845年)に再度再建されました。現社殿は、昭和37年(1962年)に老朽化のため建て直されたものです。
御祭神は、大山咋神。相殿には誉田別命と倉稲魂命、火産霊命の神様がお祀りされています。
神社の上には梅園があり、境内にも梅の木があるので梅の花が咲く時期に訪れてみてはいかがでしょうか。
周辺には温泉地がいっぱいありますので、のんびりできますよ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
大仁神社へのアクセス
相模国一の宮 鶴岡八幡宮
古都鎌倉に鎮座する鶴岡八幡宮をお参り
8月10日、伊豆長岡温泉に行く途中、鎌倉駅で下車し鶴岡八幡宮をお参りしました。
表参道の段蔓を通って八幡宮へ。
まだ午前7時台なのに強い日差しでした。
三ノ鳥居に到着。
昨日までぼんぼり祭りが行なわれていたようですね。
色鮮やかな朱塗りの建物の舞殿。何とも美しい。
下拝殿とも呼ばれていて、その昔、静御前が源義経を慕って舞を舞った場所に建てられたと言われています。
大石段を上って本宮へ。
康平6年、奥州を平定した源頼義が、源氏の氏神として京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に勧請したのが始まりとされ、治承4年に鎌倉幕府を開いた源頼朝によって現在の地に遷されました。
現在の本宮は、文政11年(1828年)に造営されたものです。
流権現造り、江戸時代の代表的な建築物。
本宮内の撮影は禁止となっていました。
シンボルである鳩で描かれた、八幡宮の「八」の字を拝見できました。
続いて、本宮の左手にある丸山稲荷社をお参り。
あれっ、これはあの漫画家でタレントの蛭子さんでは。
奥さんの名前もあります。
稲荷社には、鳥居の形をした絵馬が奉納されています。
丸山稲荷社は八幡宮の中で一番古い建物で、室町時代に建てられました。
次に、平成22年3月に強風で倒れてしまった大銀杏を見ました。
第三代将軍実朝が大銀杏に隠れていた公暁に暗殺された場所でもあります。
根元と移植された幹からは新芽が次々と芽生えている。自然の力って凄い。
途中には、非業の死をとげた実朝を悼んで菅礼之助さんが詠んだ歌碑がありました。
白旗神社の次は、源氏池に浮かぶ旗上弁財天社へ。
蓮とハトがいっぱい。白いハトがけっこういる。
旗上弁財天社。
建物の裏にある霊石「政子石」。
子宝、良縁、夫婦円満の御利益があるとのこと。
源氏池周辺はハトの憩いの場所なのでしょうか。
休憩所もハトだらけ。もはやハトの休憩所と化している。
八幡宮のお参り後は、若宮大路にある一之鳥居と由比ヶ浜に寄ってみました。
もっと由比ヶ浜や小町通りでグルメを堪能したかったのですが、伊豆長岡に向かわないといけません。
次回は鎌倉をゆっくり散策したいですね。
ご覧いただき、ありがとうございました。
鶴岡八幡宮へのアクセス
JR横須賀線「鎌倉駅」東口、または江の島電鉄「鎌倉駅」より徒歩10分
秩父神社と川瀬祭り
7月20日、昨年に続いて秩父神社の夏の例大祭川瀬祭りを見物してきました。
今年は、都合により御輿洗いの儀式がある7月20日の1日だけでしたが、秩父の夏の風物詩を楽しむことができました。
駅前の通りで、早速屋台に遭遇しました。
子供たちのお囃子が鳴り響く。いいな~、この雰囲気。
屋台が練り歩くのを見ながら、秩父神社へ向かいました。
19日の宵宮で、平成殿に立てられた天王柱。
境内摂社日御碕宮の御祭神である素戔嗚尊が宿っております。
今年は見物できませんでしたが、宵宮の雰囲気とっても良いですよ。
照明が落とされて闇に浮かぶ笠鉾や屋台の提灯の明かり。そして、打ち上げられる花火。
是非一度ご覧になってください。
本殿と日御碕宮をお参りした後は、屋台や笠鉾が曳かれている町内へ。
鳥居前の番場町。
“あの花”のめんまもお祭りを楽しんでいるようです。
神社周辺の通りは歩行者天国となっています。
たくさんの露店も出ていて、見ているだけでも楽しい。
去年、初めて来たときは、午前中「西武秩父駅前温泉祭りの湯」でまったりしていて分かりませんでしたが、神楽の奉納もあるのですね。
けっこう長い時間やっていました。
見ている方も演じる方も暑くて大変。
この大黒様は、演目の途中で縁起物の紙袋を撒きます。
見物人が一斉に拾う、ってかお年寄りたちの動きが素早い!界王拳3倍モードだよ!
拾ったおじさんに聞いたら、袋の中には豆が入っているそうです。
それにしても、あ…暑い!
去年も暑かったけど、今年は異常な暑さ。
秩父神社の境内に設置されたミスト。すごく助かります。
木陰で涼んでいると日御碕宮で儀式が始まりました。
荒川に向かって御輿が出発!
午後になり、いよいよ御神輿が荒川に向かって出発します。
御神輿に先行して笠鉾や屋台も荒川近くまで行くようです。
笠鉾や屋台の巡行は、荒川近くのベルク公園橋店辺りまで。
ベルク公園橋店近くの訪問介護ステーション脇の道路を通って、荒川の斎場に向かいました。
秩父公園橋の下に着きました。
見物は、橋の上派と川派に分かれます。
おっさんは、近くで見たいので川派。
去年と比べて見物客が少なかったので、斎場のすぐ傍をゲットできました。
待ち時間は、暑さとの戦い。
初見物の去年は飲料水を持参せず、途中で飲んだビールで喉の渇きと強い日差しで苦しみましたが、今年はペットボトルに日傘と準備万端。
ようやく、御神輿の先導役がやってきました。
クライマックス!御輿洗いの儀式
さぁ、来ましたよ!
重い御神輿を担ぎながら川を歩くのは大変です。川底は石がごろごろしていて、非常に歩きにくいです。
到着地点に着くと川の水を御神輿に掛けます。
今年は間近で見れて最高でした。
荒川の水で清められた御神輿は岸にあげられて、厳かに祭礼が執り行われました。
ホテルにチェックインし、「西武秩父駅前温泉祭りの湯」で一風呂浴びてから夜の秩父神社へ。
昼とはまた違う雰囲気です。
神楽殿では舞踊が行なわれていました。
秩父の夜はまだまだ賑わっていましたが、おっさんは疲れてしまったのでホテルに帰ってビールを一杯。
翌朝は、歩いて隣駅の御花畑駅で「はなゆう」さんの立ち食いそばをいただきました。
天ぷらそば美味い!
来年、また来たい。
昼間は混雑しませんので、笠鉾や屋台曳きを十分見物することができます。
皆さんも、ぜひ訪れてみてください。
秩父神社川瀬祭りは、毎年7月19、20日に行なわれます。
ご覧いただき、ありがとうございました。
秩父神社へのアクセス
秩父の奇祭、猪鼻甘酒まつりに行ってきました
秩父の奇祭「猪鼻の甘酒まつり」とは
秩父市荒川白久猪ノ鼻地区の鎮守である熊野神社夏祭りの付け行事で、毎年7月第4日曜日に行なわれます。
天平8年(736年)に疫病が流行したとき、日本武尊が東征の折、大猪に化した山賊を退治したお礼に濁り酒を献上した故事にならい、疫病流しを祈願して甘酒を裸でかけあったのが始まりだそうです。
この甘酒にかかると、無病息災の御利益に授かれるそうです。
ネットやブログで調べてみたら、行事の参加者はふんどし一丁で甘酒をかけあうということだそうで、いったいどのようなお祭りなのか見に行ってみました。
7月22日(日)、秩父鉄道に乗って終点「三峰口駅」を目指しました。
改札を出て右へ進んで行きます。
次に、荒川にかかる白川橋を渡ります。
橋からの眺め。
橋を渡ったら、彩甲斐街道を甲府方面へ進みます。
約10分程歩き、荒川郵便局の手前を渡ると熊野神社がありました。
横断歩道や信号機がありませんので、車やバイクに注意して横断してください。
階段はけっこうな急勾配。
階段の幅が昔の人の体格に合わせた造りなのか、大変登りずらったです。
熊野神社の境内。
まだ午前10時前。甘酒まつりは午後1時からなので見学者は少ない。
境内を散策してみました。
水が張られたプールにはたくさんの桶が積み上げられています。
プールの傍には大きな樽がありました。
中には、祭りで使用される麦と麹を発酵させてつくった甘酒が入っています。
独特の臭いが漂っていました。
無料でいただくことができますので、試しに飲んでみることに。
感想は…
う~む、飲めないことはないが、酸味が強い。
甘酒の番をしているお婆さんにお代わりをすすめられましたが、二杯目はちょっと…。
午前10時、厳かに祭礼が始まりました。
花火が打ち上げられ、社殿では、宮司や神職さん、氏子さんらによって祭礼が開始されました。
祭礼の終盤は、社殿内で君が代を斉唱。
祭礼後は、甘酒まつりの行事に参加する方々と関係者が一緒に食事をします。
ふんどしへの着替えを公開!
そして、甘酒まつりが始まったー!
食事が済んでしばらくすると、見物人がいっせいに建物へ集まり、カメラで中を撮っている。
いったい何が始まったのか。おっさんも近寄って見てみると、
ええっ!?これを撮るんかいっ!
何と、ふんどしへの着替えでした。
着替えを終え、ふんどし一丁になった男たちが続々と出てきました。
時間になり、甘酒まつりを告げる天狗さんが登場しました。
ここでハプニングが!
片方の下駄の歯が取れてしまいました!
仕方がないので足袋で。
刀を大きく左右に振りながら宮司さんたちを先導する天狗さん。
甘酒に祝詞が奏上されます。
行事を仕切る人の「始めて下さい」の合図で、男たちが次々と桶に汲んだ水を樽に運んできます。
甘酒をひたすら掛け合う男たち。見学者は飛沫に注意!
そして、ついに始まりましたよ。
甘酒の黄色い液体が勢いよく、飛びます!
笑いと歓声、悲鳴があがる。
境内は狭いので、飛沫が飛んでこない安全な場所はほとんどありません。
甘酒を掛け合う皆さん、とっても楽しそう。
特に建物付近は、甘酒を掛け合う場所から近いのでけっこう飛んできます。
地面もご覧の通りびしょびしょ。
気づいたら足元が濡れていたりします。
終盤、空になった樽を転がします。
プールに運ぶようですが、わざと反対方向に転がすボケを。
「そっちじゃない!」というツッコミと、樽を転がす男たちに向かってたくさんの水が飛んできます。
最後は、樽をプールに投げ入れて終了。なんとも荒々しい。
お疲れ様でした。
行事が無事終了したことを神様に報告。
報告が終わると、いっせいに急階段を降りていきました。
この後、皆さんで後片付けをします。
社殿や神楽殿もあっという間に日常の装いに。
日中は暑くて待っているのがシンドかったですが、お祭りが始まると暑さを忘れるほど夢中で見てしまい、大変楽しめました。
当日、初穂料三千円納めれば「甘酒まつり」に参加できるとのこと。
来年は、掛け合う側で参加したいと思います。
見学する際は、熱中症に十分注意してください。あと、甘酒の飛沫がかかりますのでタオルは必需品ですよ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
讃岐国一の宮 田村神社
香川県1泊2日の神社旅。最終日は田村神社を訪れる。
こんぴら温泉良かったです。でも1泊2日は短かい。あっという間に時間が過ぎてしまいました。
という訳で、お世話になったホテルをチェックアウト。琴電琴平線「琴平駅」に向かいました。
高松築港行の電車に乗ってGO!
駅舎を出て左へ。踏切を渡ります。
10分程歩くと看板を発見。
石燈籠があるこの道を進みます。
はい、田村神社に到着しました。
鳥居から随神門にいた個性的な狛犬さんたち。
それでは、本殿をお参りしましょうか。
田村神社の御祭神は、舌を嚙みそうな名前の神様、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)、天隠山命(あめのかぐやまのみこと)、天五田根命(あめのいたねのみこと)の五柱を総称した田村大神です。
社記によれば、和銅2年(709年)に創建されたとあり、往古より「田村大社」「定水大明神」または「一宮大明神」とも称され、人々から篤く崇敬されてきました。
本殿の奥にある奥殿の床下には竜が住むという深淵があるそうです。
末社宇都伎社の龍神と回転する大黒天様
授与所で御朱印をいただいた後、境内を散策しました。
まずは、末社の宇都伎社へ。
中央には龍神伝説を再現した巨大な竜の像。迫力あります。
宇都伎社の社殿です。
大地主神(おおことぬしのかみ)、倉稲魂神(うがのみたまのかみ)が御祭神。
回転する大黒天様が賽銭箱の手前にあります。
お賽銭を入れてから、開運招福を願ってくるくる回します。
境内にあるわらべ七福神。
淡島社の小さな鳥居と素婆倶羅社
次に、素婆倶羅社へ。
宇都伎社と素婆倶羅社の間には、小さな鳥居と奥の方に立派なキノコがありました。
素婆倶羅社では愚痴を聞いてもらえます。
素婆倶羅社の御祭神は、少名毘古那神、大年神、塞神、大水大神、菅原神。
安産と病気平癒の御利益があるそうです。
宮島社と弁財天
素婆倶羅社の次は宮島社へ。
幸福かえる。
これがスライムだったら、キングスライムに進化してしまいます。
弁財天。
幸福かえるの柄杓で汲んだ水を顔に掛けると願いがかなうそうです。
宮島社。
池には七福神の乗った船がありました。
稲荷社から北参道へ
最後は、稲荷社をお参りしてから北参道へ。
個性的なのがこのキツネさんたち。
一匹一匹咥えているものがちがうんです。
北参道。
真ん中に、讃岐の獅子頭が。
張子の手法を用い、乾漆つくりのため軽くて丈夫。振ると耳の中に収められた小石が鳴るそうです。
御祭神の倭迹迹日百襲姫命は、桃太郎のモデルである吉備津彦のお姉さんだそうです。
北参道の大鳥居。
高さ17メートル、鉄筋コンクリート造りのこの鳥居は昭和55年に建立されました。
大鳥居の正面には、金色に輝く大きな布袋様が座っています。
願いをかなえるという大きな福耳、太っ腹、福袋。円満な人間関係に御利益があるとのこと。
ここで紹介したもの以外にも、境内にはまだまだたくさんの見どころがあります。
訪れた際は、散策してみてください。
また、毎週日曜日には市がひらかれ、名物の讃岐うどんが食べられますよ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
田村神社へのアクセス
金刀比羅宮を初めて訪れました
香川県1泊2日の神社旅。初日はこんぴらさんへ
7月3日(火)から4日(水)、1泊2日で香川県へ。
1日目は、金刀比羅宮。
電車を待っていると、えっ、京急の車両!?
羽田空港国内線ターミナル駅開業20周年を記念して京急電鉄のラッピング電車が4月16日から運行中でした。
電車マニアではないのですが、地方で現役を続けている電車を見ると感動します。
琴電琴平駅~表参道口
終点「琴電琴平駅」に到着。
まずは、駅の隣りにある高燈籠へ。
万延元年(1860年)に完成した燈籠の高さは、何と27mもあります。
燈籠の光は、丸亀沖を航行する船に届くよう設計されたそうです。
駅前にある大鳥居から橋を渡って、こんぴらさんの参道口へ。
こっちに行けばよいのですね。うん、わかりやすい。
方向音痴のおっさんでも迷わない。
駅から歩いて5分程で表参道入口に着きました。
良い雰囲気の門前町。
骨付鳥に、本場讃岐うどん。いきなりの誘惑。
暑いのでソフトクリームもいいなぁ。
お店を見ながら進んでいくと、あっという間に100段目でした。
一之坂鳥居~大門
そして、第一関門の「一之坂」。この坂を見て驚く人がけっこういました。
体力に自信のない人用に登山かごがありますが、往復で料金6,800円!
高いのか安いのか。
境内の大門までは385段。
曇りで日差しがなかったので助かりました。
写真を撮ったり風景を楽しみながら、とにかく自分のペースで登りましょう。
振り返ってみると讃岐平野が眺望できました。
おっ、大門が見えてきましたよ。
大門に到着。
水戸黄門で有名な徳川光圀の兄で、初代高松藩主松平頼重公寄進によるもの。
大門をくぐると、有名な五人百姓。
平日なのか2店しか出ていませんでした。
ひとまず平坦な道が続く。
大門から150m程続く石畳の道は、桜馬場とも呼ばれています。
この後に待ち構える急峻な坂道を前に、この辺で皆さん息を整えておいてください。
こんぴらさんの篤い信仰がうかがえます。
百万円以上寄進した方々、たくさんいるんですね~。
桜馬場西詰銅鳥居の横にある、こんぴら犬の銅像。
江戸時代にはお伊勢参りと同様、飼い主の代わりに犬がお参りしたそうです。
桜馬場西詰銅鳥居左側にある広場の奥に、神馬が飼われています。
ルーチェ号のお父さんは、菊花賞や天皇賞(春)などGⅠレースを制したマヤノトップガン。
GⅡ阪神大賞典での三冠馬ナリタブライアンとの名勝負良かったなー。
お隣には月琴号。大きくて迫力がある。
広場には巨大なプロペラがあったり、
アフリカ象の像があったり、ちょっと「?」な感じでした。
ここからが本番!旭社~本宮へ
さて、いよいよ本宮を目指しましょう。
社務所門を左折し、石段を登ります。
石段を上った広場にある手水鉢。
水盤の四方を支えているこの方たちは、一体…?
何かの修行を課せられているのだろうか。
先に進んで行くと、大きくて立派な建物が。
一瞬、これが本宮かと思ってしまいますが違います。
本宮へのルートはこちら。
回廊の先にある鳥居をくぐります。
賢木門(さかきもん)。
長宗我部元親が献納したといわれており、建築を急ぐあまり柱を一本逆さまに付けてしまったことから呼ばれるようになったそうです。
闇峠と呼ばれる道。
周囲は木々に囲まれてとても静か。空気が一変します。
鳥居の先には、知る人ぞ知るマイナス1段があります。
さぁ、ラストスパート!御前四段坂を登れ!!
御前四段坂。ゴールドプレートが目立ちます。
133段登れば、御本宮ですよ!
おお!見えてきた!
ついに辿り着きました!
最後のこの坂が一番きつそうです。ほとんどの人が息を切らしながら登ってきました。
苦労して登った先にはご褒美があるのです。
本宮北東側の高台からの絶景。
讃岐平野と讃岐富士~♪
讃岐富士めっちゃいい!!!
残念ながら、奥社は昨年の台風18号の被害で参道が崩落したため参拝できませんでした。復旧は、今年の10月10日の例大祭までの予定。
御朱印は、神札授与所で。「幸福の黄色いお守り」はこちらにあります。
御朱印をいただいた後は、境内を散策。
神楽殿の前にある神木。ものすごい生命力を感じます。
南渡殿。本宮から三穂津姫社に続く長い廊下。
三穂津姫社。
御祭神大物主神の后にあたる高皇産霊神の御女、三穂津姫神をお祀りしています。
三穂津姫社の南側の絵馬殿には、たくさんの船の絵馬などが奉納されています。
KABAちゃんがいた!
帰り道は、三穂津姫社の正面にあるこちらから。
石段を下っていくと旭社のある広場に出ました。
あらためて見ると大きい。
両サイドの桶の中には、たくさんの硬貨が沈んでいます。
帰りの一之坂付近。登山かごの利用者に遭遇。
担ぎ手の人たち、仕事とはいえ大門まで登るのはきついなぁ!
遅めのランチは、表参道沿いにある「フリッジトリア アル チェントロ」さんで珍しい揚げピザと、お疲れさんビール。
もちもちの生地にとろ~りチーズが最高でした。
そして、夜は「田中屋」さんで名物の骨付き鶏とハイボール。
ごちそうさまでした。
金刀比羅宮、初めて訪れましたが、とっても楽しかったです。
きつい階段を登りきった達成感。温泉に、美味しい食べ物。
また、来たくなってしまいました。次は奥社まで登りたい。
ご覧いただき、ありがとうございました。
金刀比羅宮へのアクセス