大和国一の宮 大神神社
大神神社参拝、そして三輪山を登拝しました
2日目は、桜井市三輪にある大和国一の宮である大神神社をお参りしました。
ご祭神は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)。神話では国造り、そして国譲りの神様として登場した大国主神が自らの和魂を祀ったのが始まりとされます。
国造りの神様なので農業や工業、商業などすべての産業開発、また、医療や酒造、方除け、縁結び等人間生活の守護神として、広く親しまれています。
最寄りの三輪駅で下車し、歩くこと5分ほどで着きました。まだ朝の8時30分頃なので参拝者が少ない。
鳥居をくぐって参道を歩く。
空気が澄んでいて、清々しい気分になります。
手水舎でお清めして拝殿へ。吐水口はシンボルである蛇の像。
拝殿。背後に聳える三輪山をご神体としているので本殿はありません。原初の神祀りの姿を現在に伝えられています。
御神木の巳の神杉。大物主大神の化身である白蛇が棲んでいるそうです。
時折、杉の洞から蛇が出入りすることもあるとか。
蛇の好物である卵と酒造の神様に感謝してお酒がお供えされていました。
参集殿で御朱印をいただいた後は、目的である三輪山を登ります。
儀式殿横のくすり道から登山口の狭井神社に向かいます。
くすり道から続くこの参道も、いい雰囲気。
山に登らなくてもぜひ参拝してみて下さい。
三輪山を登拝するにあたってのルールと注意点
昔は神聖な場所でしたので一般人の入山は厳しく制限されていましたが、現在は、正月や大祭日などの特別な日を除けば入山することができます。
登山口は狭井神社にありますので、ここで受付けをしなければなりません。
受付時間などは以下の通りです。
受付時間と料金
①受付時間 9:00~14:00(時間厳守)
②下山報告 16:00まで(時間厳守)
③登拝料 一人300円
慣れている人は1時間30分から2時間ほどで往復できますが、初心者や体力があまりない人は2時間から3時間かかるそうです。16時までに戻らないといけませんので時間に余裕をもって登りましょう。
続いて、主な禁止事項です。
①水分補給以外の飲食
②火気の使用
③カメラやスマホ・携帯電話での写真撮影
受付時に、その他にも注意事項を説明されますので必ず守りましょう。
その他
①コインロッカーあり(100円硬貨が戻るタイプ)
②服装は動きやすい恰好、靴はスニーカーやスポーツシューズで
③汗をかくのでタオルやハンカチ、水分補給用のペットボトル飲料を持参する
おっさんは今回2回目の登拝です。
受付け時に渡された参拝証を首にかけ、狭井神社に安全祈願して出発!
写真撮影はここまで。それでは、行ってきます。
肌寒いとはいえ、急勾配の道を登るので汗をかきました。タオルを持って行って正解でしたね。夏場は全身汗でびしょびしょになります。
おっさんは磐座がある頂上に30分近くいましたので、往復で2時間ちょっとかかりました。
参拝証を受付に返して下山報告。狭井神社にも無事下山できたことを感謝します。
そして、神社の裏手にある薬井戸でご神水をいただきました。
生で飲めることがすごい。ペットボトルがあれば持ち帰ることができます。
靴に着いた泥を洗い流し、しばらく休憩してから久延彦(くえひこ)神社へ。
知恵の神様、久延毘古命をお祀りしている神社で、受験合格などに御利益があります。
檜原神社にも足を延ばしてみました。
古道を20分くらい歩いて到着。
崇神天皇の御代、宮中から託された天照大御神を皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が、倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)に磯城神籬(しきひもろぎ)を立ててお祀りしたことから元伊勢と呼ばれているそうです。
最後は、大鳥居へ。大きくて迫力あります。
三輪山は一度登ることをおすすめします。
中には裸足で登っている人もいました。聞けば、とても気持ちが良いとのこと。
次、登る機会があれば裸足でチャレンジしてみようかな。
ご覧いただき、ありがとうございました。
大神神社へのアクセス
JR桜井線「三輪駅」より徒歩5分
奈良県橿原市入鹿神社 全国で唯一蘇我入鹿を祀った神社
橿原市周辺は飛鳥時代の豪族蘇我氏ゆかりの地であり、今も「蘇我」・「曽我」といった地名が残っています。
その橿原市小綱にある入鹿神社は、大化の改新で知られる中大兄皇子と中臣鎌足らによる乙巳(いっし)の変で暗殺された蘇我入鹿の首を祀った神社で、蘇我入鹿を神様として祀る神社は、全国でもこの神社だけだそうです。
首をはねられたということで、昔から首から上の病に霊験あらたかな神として信仰があるとか。
神社にあったパンフレットによると、明治政府から橿原神宮造営にあたり、神武天皇を祀る橿原神宮近くに逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、祭神を素戔嗚尊に、社名を地名からとった「小綱神社」に改名するよう言われましたが、地元住民は拒否して社名と御祭神を守ったそうです。
歴史の教科書では悪逆非道な人物として登場しますが、地元では英雄として親しまれているようです。
踏切を渡って道をまっすぐ進んで、飛鳥川にかかる橋を渡ります。
突き当りを左へ行くと案内看板がありますので、看板が差す矢印の方向へ進めば到着です。
閑静な住宅地の中にひっそりと佇んでいました。
まずは拝殿で参拝します。
扉にある覗き穴から中を窺うことができるようです。
写真もOKでした。
入鹿像のレプリカ。
何と、本殿にも行けるそうです!
しかも撮影まで出来るとは!
本殿。
造営は江戸時代初期とされ、1986年老朽化に伴い解体修理されました。
中央の蛙股肘木の中には彫刻が施されています。
造りは一間社春日造・檜皮葺。本殿は西向きとなっており、廃寺となった普賢寺の鎮守社であったことを偲ばせています。
境内に建つ正連寺大日堂(元普賢寺)。
こちらも覗き穴から堂内を窺えます。堂内には鎌倉時代の作とされる大日如来像や肖像品が多数安置されていました。
神社もきれいに管理されていて、地元の人達から親しまれているのが感じられました。
駅からも近いので一度訪れてみてはいかがでしょうか。
入鹿神社へのアクセス
日本最古の神社のひとつ 石上神宮を訪ねる
3月21日から2泊3日で奈良県へ神社巡りの旅をしてきました。
天皇陛下の退位で平成ももうすぐ終わりということで、今回は第一代天皇である神武天皇をお祀りしている橿原神宮と、東征で危機を助けたという神剣「布都御魂剣」をご神体とする石上神宮がある山の辺・橿原エリアを訪ねることに。
一日目は、天理市にある石上(いそのかみ)神宮へ。
石上神宮は、「古事記」や「日本書紀」にも社名が出てくるほどの大変歴史のある古社のひとつで、豪族物部氏の総氏神として崇敬されました。
主祭神は石上大神(いそのかみのおおかみ)で、神話の国譲りで武甕雷神が用いた布都御魂剣に宿る布都御魂大神(ふつみたまのおおかみ)、物部氏の祖先邇藝速尊(にぎはやひのみこと)が天津神から授かった十種瑞宝(とくさのみずきたから)に宿る布留御魂大神(ふるみたまのおおかみ)、素戔嗚尊が八岐大蛇を斬ったという十握剣(とつかのつるぎ)に宿る布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の三柱を総称した神様です。
天理駅から歩くこと約30分程で到着。
境内に入ると、東天紅や烏骨鶏など色々な種類のニワトリたちがお出迎えしてくれました。放し飼いされているようで自由に走り回っている。
社務所近くの庭にいたこの方は、ずっと一本足立ち。鍛えているのだろうか?
手水所でお清めして社殿へ向かいます。
文保2年(1318年)に建立されたという楼門。昔は鐘楼門だったそうです。写真では分かりずらいですが、二重の正面に掲げられた木額の「萬古猶新」は山県有朋の筆によるもの。
禁足地の前に建つ拝殿。厳かな雰囲気が漂っています。
御朱印をいただき、境内を散策。
天神社。
七座社。
出雲建雄神社。草薙剣の荒魂をお祀りしています。
天然記念物ワタカが棲息しているという鏡池。
南北朝時代、後醍醐天皇が都から吉野に逃れる途中、敵に見つかりそうになったためいななく馬の首を斬って池に投げ入れ、この馬がのちにワタカになったという伝説があります。
最後は、大鳥居を西に下り神宮外苑公園の向かい側にある神田(こうだ)神社へ。
熊野で危機にあった神武天皇に、高天原から下った布都御魂剣を渡した高倉下命(たかくらじのみこと)をお祀りしている神社です。
石上神宮には2時間くらいいてしまいました。とっても居心地が良かったです。
さて、お腹が空いたのでお昼は元幕内力士でプロレスリングノアで活躍した力皇さんのラーメン店「麺場力皇」へ。
人気店らしく行列ができていました。とても美味しかったです。
この後は、宿泊するホテルがある橿原市の入鹿神社へ。
石上神宮へのアクセス
安芸国一の宮 厳島神社
全国一の宮巡り 広島県厳島神社
7時羽田発の飛行機で広島空港へ。空港からはリムジンバスで広島駅に向かいます。
広島駅には45分程で到着しました。広島駅でJR山陽本線に乗って宮島口駅に移動します。
駅を出て地下歩道を通ってフェリー乗り場のある宮島口桟橋へ。
いい感じの地下歩道です。
宮島へ渡るフェリーは、JR西日本が運営する宮島フェリーと宮島松大汽船の2つあります。料金はどちらも片道180円と同じ値段ですが、JRだけ時間帯によって大鳥居に最接近する「大鳥居便」を運航しているので、こちらの方が人気があるようです。ただし、大鳥居便は往路のみです。
おっさんもJRで。
しかし、列の後方だったため展望の良いデッキ席はすでに埋まっていて座れませんでした。良い席は、次の便で先頭に並ばないとゲットできませんね。
瀬戸内海の波は穏やかで揺れが無く、快適でした。
宮島までは10分程で到着。
戦国時代には、毛利元就と陶晴賢が戦った有名な厳島合戦の場所でもあります。
そして、厳島神社といえばこのお方なしでは語れませんよね。
平安時代末期、隆盛を極めた平清盛公は、平氏の氏神を祀る神社として篤く信仰し、現在の規模に建て替えたそうです。
野生のシカが普通に街中を歩いている
島を歩いていると、まず、目につくのがシカさんたち。女性や子供に大人気で写真撮られまくりでした。人馴れしていて、野生だとは思えません。
食べ物をつまみ食いして食器を散らかしたこのシカは、この後怒った女性の店員さんにドつかれました。
潮が引き始めた夕方には、こんなところまでシカさんが。
たくさんの参拝者でにぎわう日中の厳島神社
観光名所でもありますので、日中は外国人観光客や多くの参拝者が訪れます。
平舞台から突き出した火焼前(ひたさき)は、人気のフォトスポットのようで行列が絶えませんでした。
参拝入口で拝観料300円を支払い、社殿へ。
先ずは「客(まろうど)神社」にご挨拶をしてから廻廊を進みます。
※昼間は人通りが激しくて撮影できなかったので翌朝7時に参拝して撮影しました。
五重塔と客神社本殿。
高舞台の両脇にいる狛犬さん。
平舞台や火焼前は人でいっぱいでしたので本殿へ。
参拝後は御朱印をいただきました。
出口に向かう途中にある能舞台。
反橋。
出口から清盛神社に向かいました。
平清盛公を祀る清盛神社
昭和29年創建と記載されていました。とたも静かで落ち着く場所です。
未完成のまま現在に至る豊国神社(千畳閣)
お昼を食べた後は、五重塔に隣接する豊国(ほうこく)神社へ。拝観料100円かかります。
豊臣秀吉が戦没者慰霊のために安国寺恵瓊に命じて建立しましたが、途中で秀吉公が亡くなったため中断となりました。以降、天井の板張りや外構など未完成のままなのだそうです。
広さが畳千畳分に匹敵するほどから千畳閣とも呼ばれています。
誰もいなかったら、床に大の字に寝ころびたかった~。
ライトアップされた夜の厳島神社と歩いていける大鳥居
宿で夕食を食べた後、散歩がてら夜の厳島神社へ。
この頃になると浜辺は完全に潮がひいていて、鳥居まで簡単に歩いていけます。
昼間たくさんの人で賑わっていた火焼前は誰もいません。静かな社殿。神職の方が吹いている笛の音だけが聞こえています。
夜は神秘的で格別です。
シカの姿も見当たらない。門前町もご覧の通りの静けさ。
早朝参拝もおすすめです
翌朝もお参りしてしまいました。
まだ干潮だったので大鳥居へ。
朝7時。参拝者が自分以外誰もいませんでしたので、人気スポットもじっくり見ることができました。
鏡池。
火焼前も並ばずに撮影できますよ。
早朝参拝もいいですね~。
朝食を食べに宿に戻るときに砂浴び中の猫さんを発見。
あっという間に出発の時間が来てしまいました。
9時25分発のフェリー。乗客が少なくてガラガラでした。
ありがとう宮島。次、来たときは弥山を登りたい。
朝、昼、夜で雰囲気が違う厳島神社。宮島に一泊することをおすすめします。
門前町をぶらぶら散策したり、名物のもみじ饅頭やあなご、牡蠣などおいしい食べ物もあって楽しめますよ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
【神 社 名】厳島神社
【御 祭 神】市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)
【創 建】推古天皇即位の年(593年)
【アクセス】フェリー宮島桟橋から徒歩15分
三峯神社に初めて行ってきました
関東屈指のパワースポット三峯神社へ
1月14日、奥秩父三峰山に鎮座する三峯神社をお参りしました。
三峯神社へ行くのは今回が初めて。
せっかくなので、池袋へ出て西武線特急レッドアローで西武秩父駅へ向かいました。
終点西武秩父駅からは、三峯神社行きの西武バスに乗り換えます。
秩父鉄道の三峰口駅からもバスに乗れますが、混んでいる場合がありますので座席に座りたい方は、西武秩父駅でバスに乗った方が良いです。
バスの本数も少ないので、事前に時間を調べてください。
乗り物酔いする人は、絶対に酔い止め薬を飲んでください!!!
道中、急カーブが多いので乗り物酔いしやすいです。こんなに魔のカーブがあるとは思ってもいませんでしたので、おっさんは完全にバス酔いしてしまいました。
バス停のベンチでしばらく休んでから神社へ。
途中には、秩父名物の「わらじカツ」や「みそポテト」など美味しそうな食べ物が。
名物を味わいながらお酒も飲むつもりでしたが、帰りのことを考えて飲食は控えました。
鳥居前にやってきました。
こちらの鳥居は、全国的にも珍しい三ツ鳥居。
その鳥居の前には、守護神である狛犬ならぬ狛狼が鎮座しています。貫禄ありますね。
鳥居をくぐって参道へ。
空気が冷たくて身が引き締まります。
順路に従って、まずは隋身門から。
こちらにも狼さんがいました。
門を抜け、石灯籠が並ぶ参道を下ります。また雰囲気というか空気が変わります。
この階段を上ると正面に社殿があります。上るときは左側通行のようです。
拝殿。
きらびやかな彫刻に圧倒されます。
神社の創建年代は不明ですが、日本武尊が東征の折、当時の甲斐国から上野国を経て碓氷峠に向かう途中に山に登り、伊弉諾命と伊弉册尊を祀ったと伝えられています。
古くは修験の開祖である役小角が伊豆から往来して修行したとも云われており、山岳信仰の三峯講が広まった鎌倉時代には、畠山重忠や新田義興などの武将から厚く崇敬されました。
七年前の辰年に龍の姿が現れたという敷石を拝見することができました。
拝殿前の両脇には、御神木の巨大な杉があります。
杉の木の凹んだ部分は、友人から聞いた話では、極真空手の創設者で漫画空手バカ一代の主人公大山倍達がここで修業したときの正拳突きによるものだとか。
そんな訳あるかと思いましたが、一般の人が長い間触り続けてこんなに凹むとは思えませんので本当なのかなぁ。
境内には、三峯神社にゆかりの深い神様を祀っている摂末社がたくさん並んでいます。
一番端にある大山祇神社。
ここの狼さんは、お賽銭をもらって嬉しそうです。
順路の最後は、大和武尊の銅像と大山倍達の碑、妙法ヶ山頂にある奥宮を遥拝する遥拝殿へ。
人気のあった毎月1日に頒布する「白い氣守り」は、大渋滞を起こして周辺地域に多大な影響を与えたため、残念ながら2018年6月以降中止となっています。
とても良い雰囲気の神社ですので一度お参りしてください。
乗り物酔いする人は、酔い止め薬を飲むのを忘れないようにしてくださいね。
ご覧いただき、ありがとうございました。
三峯神社へのアクセス
駿河国一の宮 富士山本宮浅間大社
浅間信仰の総本社、富士山本宮浅間大社で富士山を拝む
12月27日、一泊二日で静岡県へ。お目当ては、富士山本宮浅間大社です。
主祭神は、浅間大神(あさまのおおかみ)こと木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)。
社記によれば、第七代孝霊天皇の御代に富士山が大噴火し、周辺住民は離散し荒れ果てた状態が続いたため、これを憂いた第十一代垂仁天皇が浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を山麓に祀ったのが創始と云われています。
大同元年(806年)に平城天皇の勅命で、坂上田村麻呂によって山宮から現在地に社殿が遷されました。永治元年(1141年)には神階正一位を授かり、駿河国一の宮として朝廷や源頼朝、北条義時、武田信玄・勝頼、徳川家康ら武将からも篤く尊崇されました。
7時ちょうどのスーパーあずさ1号で、新宿を出発♪
予約していた指定席のある車両は、甲府発だと最後尾なんですね。
富士宮に近づいてきました。
車窓から見る富士山に感動。新幹線より、こっちを選んで大正解ですね。
富士山世界遺産センター前にある大鳥居の間からの富士山、そして池に映る逆さ富士。
富士山世界遺産センターは、残念ながら年末休館日で入れませんでした。
お宮横丁の脇の通りを抜けて、御手洗橋を渡ると到着です。
本宮の境内へ。
三之鳥居を抜けると朱色が映えるりっぱな楼門が。
楼門前の石段には、明治初年まで行なわれていた山宮御神幸の際、神鉾を休め奉ったという鉾立石と呼ばれる自然石があります。
楼門をくぐると正面に拝殿と弊殿、本殿があります。
本殿を含む現社殿は、慶長九年(1604年)江戸幕府を開いた徳川家康造営によるもの。
一度拝見したかった二重楼閣造の本殿。いや、素晴らしい。
御朱印をいただき、境内を散策しました。
社務所前にあるしだれ桜は信玄桜と呼ばれ、武田信玄が寄進したと伝わります。
春にはきれいな桜が咲くのでしょうね。
湧玉池へ。
池の水は、富士山からの伏流水が湧き出したものです。
ペットボトルを持参すれば、湧水を持ち帰ることができるようです。
最後は、神路橋を渡り厳島神社をお参り。
お昼は、門前にある屋外フードコートお宮横丁で。
食べるなら「富士宮やきそば」でしょう!
すぎ本さんのソースと塩のハーフ&ハーフをおつまみにビールを。昼間っから、すみませんね~。
天気にも恵まれて、富士山を拝むことができて最高でした。
いつかは霊峰富士山にある奥宮を登拝してみたいですね。
ご覧いただき、ありがとうございました。
富士山本宮浅間大社へのアクセス
越中国一の宮 氣多神社
全国一の宮巡り 富山県高岡市氣多神社を参拝
2日目は、氣多神社を訪れました。
ポストの上には、さりげなく小さな大伴家持がいる。
万葉集で有名なあの歌人が何でこんな地方にと思うかもしれませんが、奈良時代にはこの地に国府がありまして、大伴家持が5年間国守として滞在していました。
駅前には、「勧進帳」で有名な弁慶と義経のワンシーンを描いた銅像もあります。
元々は「如意の渡し」と呼ばれていた渡船場に建っていたのですが、伏木万葉大橋開通に伴い廃止となったため、こちらに移設されたそうです。
越中国守館跡を過ぎると、今度は道路の一画に大きな家持の銅像が。
国道415号に出て国分方面へ歩いていくと、氣多神社口があります。
ここを真っ直ぐ行き、越中国分寺跡の奥を進むと到着です。
氣多神社の御祭神と由緒
御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)と奴奈加波比売命 (ぬなかわひめのいみこと)です。
創建には、ふたつの説があります。ひとつは養老2年(718年)に行基が創建したとあり、もうひとつは天平年間(757~764年)に能登国から分立する際、氣多大社から勧請したとも云われています。
盛時には越中一の宮として境内の周囲に神宮寺である徳証寺をはじめとする大伽藍が並立していましたが、木曽義仲や上杉謙信の兵火に罹り二度焼失。その後、前田家の厚い庇護のもと社領の寄進などが行なわれました。
参道の前には、手水舎と清泉があります。
澄んでいて本当にきれいな水です。
それでは、お参りしましょうか。
境内の参道には沢山の燈籠が並んでいます。
人の気配がまったくありませんね。とても静かで何だか落ち着きます。
まずは社殿に行き、参拝を。
参拝後は、国の重要文化財に指定されている本殿を拝見しました。
室町時代に再建されたもので、柿葺の三間社流造、正面に一間の向拝が設けられた大変歴史ある建物です。
境内には、大伴家持を祀ったその名もズバリ「大伴神社」があります。
境内の一角にある越中総社跡伝承地へ。
越中国内の有力諸社の神霊を集めて祀ったという総社が建立されていた神域であると伝えられています。
事前に電話をして御朱印をお願いしたのですが、残念ながら書き置きしかやっていませんでした。
留守なのか、こちらも人の気配まるで無し。
直筆で頂きたかったなぁ。
氣多神社のお参り後は、越中国分駅から終点の氷見駅へ。ひみ番屋街でグルメと温泉を堪能しました。
行きも帰りも「忍者ハットリくん列車」に乗ることができましたよ。
氷見市は藤子不二雄A先生の出身地。車内アナウンスの声もハットリくんという凝りよう。
駅からも歩いていける距離なので参拝してみてはいかがでしょうか。
室町時代に再建された本殿は必見ですよ。
ご覧いただき、ありがとうございました。
氣多神社へのアクセス