伊賀国一の宮 敢國神社
2016年12月。伊勢志摩の旅4日目の最終日は、伊賀市にある敢國神社(あえくにじんじゃ)を訪れました。
3日間お世話になった津駅前のホテルをチェックアウトし、津駅を出発。亀山駅でJR関西本線に乗り換え、敢國神社の最寄駅である佐那具駅を目指しました。
津駅から約1時間30分程で佐那具駅に到着。
電車は比較的混んでいましたが、ここで降りたのはわたくし一人だけでした。

佐那具駅舎。

駅前の道路を左に進みます。

柘植川に掛かる橋を渡ります。

橋を渡ってしばらく歩くと大和街道に出ます。三重銀行が目印ですよ。

大和街道に出たら右へ進みます。
街道はこんな感じ。

街道を進んで行くと山出銀店の看板がありますので、ここを左へ行きます。

道路沿いに西方寺というお寺があります。

西方寺を過ぎると国道25号に出ます。
交差点を渡り、そのまま真っ直ぐ進みます。井関農機の看板が目印です。

西濃運輸を過ぎます。まだまだ歩きますよ。

10分程歩くと左右に分かれる道がありますので、右に進みます。

道なりに進んで行くと千歳交差点があります。

交差点に出ると、敢國神社の案内看板がありました。

交差点を渡って道なりに進んで行き、名阪国道の高架下を抜けます。
道路沿いには敢國神社と書かれた赤い幟が、一定の間隔で立てられていました。
幟が道案内となっていますので、とても助かりますね。
さぁ、敢国神社はもうすぐです。
高架下を抜けると、道沿いに立っている神社の幟の色も赤から5色のカラフルなものに変わっていました。

あれ!?こちらは裏参道でした。
向かいは駐車場となっています。

表参道は、裏参道を過ぎて少し進んだところにありました。

敢國神社の大鳥居。

手水舎。鳥居をくぐってすぐ右手にあります。

境内正面の石段を登り、まずは拝殿へ向かいました。

第八代孝元天皇の嫡男の御子で、第十代崇神天皇の御代に四道将軍のひとりとして北陸地方の平定を任され、平定後伊賀の地に永住しました。

拝殿の敷地のスペースが狭いため建物全体を撮ることはできませんでした。

社務所で御朱印をいただいた後は境内を散策。
境内にある桃太郎岩。安産と子授けの守護の霊岩だそうです。
550年前に、前方にそびえる南宮山上に鎮座する浅間社から遷したと伝えられています。


子授け神。

縁結びの神として信仰厚い、むすび社。
鳥居をくぐって石段を登って行きます。


神明社。

大石社。

こちらは、市杵島姫神社。
姫神らしく朱塗りの鳥居と社が見事に映えます。


伊賀が生誕の地である松尾芭蕉の句碑がありました。
「手鼻かむ音さえ梅の匂ひかな」1688年、芭蕉45歳の作だそうです。

この後、帰りの時間までまだ余裕があったので南宮山頂にある末社浅間社を目指しました。
こちらは次回で報告します。
それでは、また。