近江国一の宮 建部大社
全国一の宮めぐりで、滋賀県大津市神領に鎮座する建部大社に行ってきました。
近江国の一の宮である建部大社は、日本武尊を神様として祀る古社です。
社伝によれば、景行天皇46年(316年)神勅により、日本武尊の妃である布多比売命とその子稲依別命が住んでいた神崎郡建部郷に社殿を建て、尊を祀ったのが創始とされます。その後、瀬田大野山山頂に遷されましたが、建部氏によって現在地に遷座されました。古くから歴代朝廷の尊信篤く、また武将からの崇敬も篤かったようで、中でも源頼朝は伊豆に流される途中、参籠して武運長久を祈願し、後に源氏再興の宿願が成って上洛した際、幾多の神宝と神領を寄進しました。
毎年8月17日に行われる『船幸祭』は有名で、日本武尊が船団を従え海路を辿った故事に基づき、瀬田川を海路に見立て船の渡御が再現されます。
近江八景瀬田の夕照で有名かつ日本三大名橋のひとつ『瀬田の唐橋』の東約500m先に、建部大社があります。
一ノ鳥居と社号標。
二ノ鳥居。
神門までの参道には、日本武尊の物語と幻の千円札の立看板が並んでいます。
日本武尊の物語はイラストが素晴らしく、じっくり読んでしまいました。
昭和20年に日本で初めて発行された千円紙幣には、日本武尊と建部大社が描かれていたようです。そして、なぜ幻かというと、通用期間がわずか7ヶ月で発行枚数が極めて少なかったからだそうです。
神門の手前にある手水舎。
センサーがあるようで、近付くと民謡のような音楽が流れます。
神門をくぐり抜け、神域内へ。
コロナ終息を願った茅の輪がありましたよ。
こちらが拝殿。
社殿は、日本武尊を祀る正殿と大貴己命を祀る権殿が並んで建っています。
拝殿の左右には、景行天皇や日本武尊の妃と御子、家臣など所縁のある人物を祀る末社が並んでいました。
拝殿前の三本杉。天平勝宝7年(755年)に大己貴命を権殿に奉祀した際、一夜にして成長したといわれています。
大野神社。草野姫命(かやのひめのみこと)という地主神を祀り、建部大社がこの地に遷座する前からありました。古くから縁結びにご利益があるといわれています。
正殿と権殿の裏に納められている珍しい自然石も忘れずに見ておきたいところです。
特に正殿側の菊花石。これが自然に出来たとは、何とも神秘的だ!
お賽銭も忘れずに。
参拝した日は月次祭の日であったため、御朱印は祭礼が終わってからいただくことができました。
最後に、大津市の観光キャラ「おおつひかるくん」にサヨナラして次の神社に向かいました。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
建部大社へのアクセス
京阪電鉄「唐橋前駅」より徒歩10分
橿森神社と岐阜信長神社【岐阜県岐阜市】
6月26日、金神社の次に向かったのは、同じ岐阜市内の若宮町にある橿森神社です。
まぁ、本命は境内にある岐阜信長神社の金の御朱印なのですが。
橿森神社のご祭神は市隼雄命(いちはやおのみこと)という神様で、伊奈波神社の五十瓊敷入彦命と金神社の渟熨斗姫命の間に生まれました。
創建は、景行天皇の時代と伝えられています。本殿の裏山には神が天馬にまたがり休息した時に、天馬が残したという爪痕が残る岩があります。
まずは、織田信長公がこの地に楽市楽座を開いたときに、市神を祭ったという神木の榎を見てから神社へ。
神社の鳥居。『プレミアム金デー』 なのに参拝者は少なかったです。
手水舎。吐水口はカエルなのですね。
きちんと管理されているようで水がきれいでした。
手水舎の隣りに、本命の織田信長公を祭る京都の武勲神社から分霊した岐阜信長神社がありました。
境内社なので思っていたより小さかった。
参拝して、金の御朱印をいただきに奥にある橿森神社の社殿へ向かいました。
靴を脱いで社殿内へ。御朱印を待つ間、中を拝見できたのは嬉しい。
こちらが、金の御朱印です。
最後に社殿の裏山にある天馬が残した爪痕があるという駒爪岩へ。
これが、その岩なのだろうか?
まだ時間があったので、ロープウェイで岐阜城に行ってみました。
蒸し暑くて汗だく💦
入城の際は、検温と名前や住所を用紙に記入しなければならないので面倒。おまけにマスクを着用して暑い城内を見学するのはしんどかったです(-_-;)
でも、最上階は風が吹いていて大変気持ち良かった。
晴れていたら見晴らしが最高だったのですが、曇り空でちょっと残念でした。
下りもロープウェイで。到着後しばらくすると土砂降りに。
バスを待つ間、金華山ロープウェイ内にあった大河ドラマ「麒麟が来る」の本木雅弘さんが演じた斎藤道三の等身大フィギュアを撮影。とても精巧に造られている。
JR岐阜駅に到着。マスク姿の黄金の信長像。
これから名古屋に向かって新幹線で帰ります。
三社参りができて良かった~。
帰りは、撮った写真を見ながら駅弁を肴にお疲れさんビール。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
橿森神社へのアクセス
JR岐阜駅より徒歩20分または名鉄岐阜駅より徒歩15分
『プレミアム金(フライ)デー』限定の金文字御朱印が大人気!金神社【岐阜県岐阜市】
岐阜市内のホテルに宿泊し、一泊二日の旅行最終日。
6月25日、この日は6月の最終金曜日でした。たまたまスマホで岐阜市内の神社を調べていたら、毎月最終金曜日の「プレミアム金デー」限定の金文字御朱印が大人気という『金(こがね)神社』を発見。
ホテルをチェックアウトし、午前8時30分頃に神社に着くと、既になが~い行列ができている!
古くから金運や財運にご利益があるといわれているそうで、鳥居もご覧の通り金色。
いや~、ご利益ありそう!
金神社は、成務天皇の御代(135年)に国造として赴任した物部臣賀夫良命(もののべのおみかぶらのみこと)が国府をこの地に定め、金(こがね)大神を篤く崇敬したのが始まりとされます。
金大神と称される渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)は、景行天皇の第六皇女で伊奈波神社の主祭神である五十瓊敷入彦命の妃であります。
伊奈波神社の縁起によれば、朝廷の命により奥州を平定した五十瓊敷入彦命は、功を妬んだ陸奥守豊益の讒言によって朝敵とされ、美濃の地で討たれてしまいました。死を聞いた渟熨斗姫命はその地に訪れ、五十瓊敷入彦命の慰霊をしつつ生涯を終えましたが、その間私財を使って町の開拓や産業・農業の発展に寄与されました。その功績を慕って人々が集まり「財をもたらす神」として信仰され、金大神と称され祀られました。
御朱印は、金神社と末社の金祥稲荷神社の2つあります。もちろん2つともいただくことができますよ。
列に並んで20分、ようやく順番が来ました。受付で御朱印帳を渡し、希望する御朱印を伝えると番号札を渡されました。番号を呼ばれるまでしばらく時間がかかりそうなので、境内を散策しました。
まずは、本殿の右脇にある金祥稲荷神社。
脇の道を奥に進んで賀良夫城(かぶらぎ)神社と金高椅(こがねたかはし)神社へ。
賀良夫城神社。国造物部臣賀夫良命の墓と伝えられています。
金高椅神社。料理を司る神様である磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)を祀っています。
猿田彦神社、秋葉神社、神明神社、物部神社、玉姫神社の末社が並ぶ。
本殿の裏は人がいなくて、ひっそりとしていました。
いただいた御朱印です。係の方が間違って金祥稲荷神社も書いてしまったそうで、初穂料はひとつ分で済みました(ラッキーだったのかな?)。
御朱印をいただいたので帰ろうとすると、境内にご近所の方と思われる人が集まってきて、ラジオ体操が始まりました。
地元と密着していて良いですね~。
この後、金色の衣装を着たご当地アイドル「やながせゆっこさん」が来ました。
こちらも偶然出会えてラッキーでした。
まだまだ行列は続いていました。
「プレミアム金デー」の限定御朱印は大人気で行列が絶えません。これを見ると早めに来て良かったと思いました。
同じ日に、市内にある伊奈波神社と橿森神社の境内社岐阜信長神社でも金の御朱印を授与していますので、時間がある場合は巡ってみてはいかがでしょうか。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
金神社へのアクセス
JR「岐阜駅」より徒歩11分または「名鉄岐阜駅」より徒歩9分
1900年以上の歴史を持つ古社、岐阜市伊奈波神社を訪れてみた
岐阜市伊奈波通りに鎮座する伊奈波神社は、第十一代垂仁天皇の第一皇子で、景行天皇の兄でもある五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を主祭神としてお祀りしている神社です。
社記によれば、景行天皇14年に武内宿禰が五十瓊敷入彦命の遺徳を偲んで稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園丸山の地)に祀ったのが始まりとされます。天文8年(1539)に斎藤道三が稲葉山城を居城とするにあたり、現在地に遷されました。以降、岐阜の総産土神として篤い崇敬を受け、家内安全、商売繁盛、安産、交通安全など様々なご利益があるとされ、岐阜市で最も多い参拝客が訪れます。
JR岐阜駅から岐阜バスに乗って「伊奈波通り」で下車。バス停から歩くこと5分ほどで到着しました。
境内の中央にある神橋。
手と口を清めに手水舎へ。当然、新型コロナ対策で柄杓は撤去されていました。
階段を登って楼門へ。
楼門をくぐり、神門で拝殿や本殿を拝みました。
神門の両脇に控えている狛犬さん。苔の生え具合がいい塩梅。
本殿を参拝して境内の摂末社のひとつ、伊奈波神社が現在地に遷座する以前から鎮座していたという黒龍神社へ。
苔むした燈篭や鳥居、樹木などすごくいい感じで、龍の彫刻も力強さがあって独特の雰囲気を纏っています!
お稲荷様を祀っている楓稲荷神社。
桃太郎のモデルとなった吉備津彦命を祀った吉備神社もありました。
服飾繊維、和洋裁、手芸の守護神として名高く、毎年2月8日に針祭が行われます。
最後に大己貴命をご祭神とするいなば大黒社を参拝しました。
年に一度の例祭で社に納められている神像を拝することができ、神像のお腹に触れるとご神徳に恵まれると言い伝えられています。
コロナ禍で御朱印は書置きのみの対応でした。
参拝後は、歩いて岐阜公園内にある「麒麟がくる大河ドラマ館」へ。
到着すると同時に土砂降りに!
新型コロナの影響で来館者は少なかったですが、その分ゆっくり見ることができました。
岐阜城や大河ドラマ館に訪れた際にお参りしてみてはいかがでしょうか。
境内の雰囲気も良いですし、苔が癒してくれますよ。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
伊奈波神社へのアクセス
美濃国一の宮 南宮大社
6月25日、岐阜県不破郡垂井町に鎮座する南宮大社を訪れました。
早朝、東京駅6時33分発の『こだま号』に乗って名古屋駅へ。
今回は『ぷらっとこだま』ではなく、チケットレスで乗車できる『スマートEX』を初めて利用してみました。交通系ICカードを登録しておくと、改札をすいすい通れるので大変便利。
奮発してグリーン車で。人が少なくて快適。
お弁当もゆっくり食べることができました。
名古屋駅から大垣駅に移動し、大垣駅で米原行きの電車に乗り換えて、最寄りの垂井駅で下車しました。
最初に向かったのは、新幹線の高架沿いに建つ高さ21mほどある大鳥居。大きくて、迫力あります。
大鳥居から約10分ほどで南宮大社正面に着きました。
重要文化財のひとつである楼門を正面から。手前の石輪橋は神様専用の橋。
下流にある下向橋を渡って楼門へ。
楼門の表には左大臣と右大臣、内側には狛犬の木像があります。どれも相当な年月を経ていそう。
狛犬の向きは一般の神社で目にする社殿を背にしておらず、神様がいる本殿を見守っているような感じ。
手水舎では、カエルがくつろいでいましたよ。和むな~。
神域中央の高舞殿と拝殿。こちらも国の重要文化財のひとつ。鮮やかな朱塗りが美しい!
美濃国一の宮である南宮大社は、主祭神に金山彦命(かなやまひこのみこと)を祀り、鉱山はじめ金属一切を司る神様として敬われてきました。
創建は神武天皇の時代に遡り、古くは仲山金山彦神社と称し、現在地から2キロほど離れた当時美濃国府があった府中に鎮座していました。
崇神天皇のときに現在地に遷り、国府の南に位置していたことから『南宮大社』と呼ばれるようになったと云われます。
慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の兵火で社殿が焼失しましたが、寛永19年(1642)、この地にゆかりのある春日局らの願いを聞き入れた三代将軍、徳川家光によって再建されました。
建築様式は和様と唐様を混用した独特の様式で『南宮造』と呼ばれています。同時期に建造された三重塔や鐘楼などの仏教関係は、明治初期の廃仏毀釈のときに浅倉山真禅院に移されました。
境内には江戸時代の代表的な遺構十八棟が国の重要文化財に指定されており、51年目毎に式年遷宮が行われます。
御朱印をいただいた後、南門を抜けて奥にある南宮稲荷神社に向かいました。
途中にある瓦塚。社殿の古い瓦を供養しているようです。
稲荷神社に通じる道は、朱塗りの鳥居が連なる。
連鳥居を抜けると正面に南宮稲荷神社がありました。空気というか雰囲気が違う。
脇にあった階段を登っていくと稲荷社が見えましたので、こちらもお参りしました。
南門に戻る途中、瓦塚の手前にある湖千海神社に寄りました。
豊玉彦命こと引常明神をお祀りしている神社のようで、由緒書きによれば、大仏建立の勅願で金山彦命の神助を請うため行幸した聖武天皇がこの地にあった霊泉を汲み、大仏建立を成し遂げたと伝えられています。
北条政子が亡き源頼朝の菩提を弔って建立したという南竺の鉄塔。
これが霊泉なのだろうか。覗いてみるとサワガニがいました。
境内の摂末社をお参りし、最後に正面入口脇にある数立神社(美濃国総社)をお参りして南宮大社を後にしました。
空はどんよりとしていて、いつ雨が降ってきてもおかしくない天気。晴れていたら毛利秀元や安国寺恵瓊陣所跡を訪ねたかったのですが、またの機会に。
岐阜駅へ移動し、伊奈波神社と大河ドラマ館へ行くことにしました。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
南宮大社へのアクセス
埼玉県蕨市の総鎮守、和楽備神社を訪れてみた
6月18日、日本の市の中で、面積が最も狭い蕨市に鎮座する和楽備(わらび)神社を訪れました。
主祭神は誉田別尊。前身は村社八幡社で、室町時代に当地を所領していた足利将軍家の一族である渋川氏が蕨城を築いたときに、城の守護神として八幡大神を祀ったのが始まりとされ、明治44年に町内にあった18の無格社を合祀して社名を現在の和楽備神社に改称しました。
JR京浜東北線蕨駅からてくてく歩くこと約12分、神社に到着しました。
神社は、蕨城址公園に隣接しています。
『夏越の祓』の時期ですね~。参拝する方、茅の輪くぐりをして境内へ入っていく。
おっさんも、茅の輪くぐりを。
狛犬さんに挨拶して参道を進みます。
社殿。
参詣を済ませた後、境内を散策してみました。
末社の稲荷神社。前身である八幡社本殿を現在地に移築したものだそうで、蟇股・垂木・長押などの形から十七世紀末から十八世紀初めに建立されたものと云われています。
隣りにある天神社。明治44年の合祀の際に移築されたもので、蟇股・虹梁・木鼻・垂木・長押などの形から江戸時代初期に建造されたそうです。
摂末社の榛名神社。渋川氏没落後も、ゆかりの榛名湖に水請いに行く榛名講が長く行われていたそうです。
弁天社と、蕨鳶消防組の活動を記念して建てられた「木遣塚」から隣接する蕨城址公園へ。
本丸跡地。広くはありませんが、静かで落ち着きます。
毎年12月17日には『おかめ市』という酉の市が開催され、境内や南参道に熊手や露店が出店し大勢の人で賑わうそうです。
新型コロナウイルスの感染拡大でお祭りが相次いで中止となっておりますが、冬のお祭りは例年通り行われることを祈っております。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
和楽備神社へのアクセス
鎮守氷川神社【埼玉県川口市】
室町時代初期(応永年間)に創建されたという古社で、美術家横尾忠則がイラストした特別御朱印帳が人気であります。
JR京浜東北線の西川口駅で降りて、ぶらぶら歩いて行きました。
手水は、色鮮やかな紫陽花の花手水になっていました!
狛犬さんたちに挨拶して拝殿へ。
拝殿。
参拝を終え、境内を散策してみました。
境内には、御神木が2本あります。まずは本殿裏手の『大欅』へ。
樹齢四百年以上を誇る立派な御神木。抱きつくと、大いなる力をいただけると云われています。お参りした際は、抱きついてパワーをいただきましょう。
2本目の御神木は、境内中央部にある『夫婦椋』。
根元でひとつになっていることから、縁結びの木として祭られています。
富士塚があったので登ってみました。
頂上には安産や子宝にご神徳があるという『撫で犬』が鎮座していました。
境内には七福神の像もありますので、時間があれば探してみてください。
御朱印は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため書置きのみの対応でした(6月18日時点)。
川口はぶらぶら街を散歩するのも面白いので、ここから川口駅に歩いていくのも良いですよ。
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
鎮守氷川神社へのアクセス